見出し画像

性暴力

結構前からTVなどでやってる性暴力のこと。
逃げてはいけない、
目を背けてはいけない、と思う。
だけど、耳に、目に、するたびに、
自身の被害のフラバと、
あらゆる加害者への怒りが止まらなくなって苦しい。

性暴力は繰り返される。
レイプ、援交…。
記憶を消すために、私は繰り返した。
記憶なんか消えることなんてなかった。
でも、繰り返すしか、
繰り返されるしかなかった。

最初のレイプの後、なんとか病院に行った。
「証拠取るなら今しかないよ?」と言われても
Noということが精一杯だった。
今になっては、証拠があればと後悔する。
でもそれだけ、被害直後は恐怖と混乱で冷静に判断することはできないってこと。
病院での処置も私にはレイプ同様だった。

https://sarc-tokyo.org/wp-content/uploads/2021/03/SARC_T_Guide.pdf

レイプの後、何人もの男と会った。
今ならトラウマの再演だってわかる。
トラウマの再演については下記のページにわかりやすくある。

https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic055.html

恐怖を
記憶を
暴力で対処するしかなかった。

恐怖の時に相手の喜ぶような行動とるのって、
相手に殺されないためなんだよね。
殺されないためには、相手に従うしかない。

今でさえ、暴力の中に身を置きたい衝動に襲われる。
自分を傷つけたい。
自分を傷つけている方が安心する。
だってこれ以上怖いことは起こらないから。

人は慣れているものや状況に安心を感じる。
それがたとえ危険を孕む状況であってもだ。
しかし、それは本当の安心ではない。
「暴力で対処するんじゃなくて、安心で対処しなきゃ」
って言葉に引き留められる。
でも、まだ「安心って何?」の段階に居るのだけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?