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スヌレポ②しあわせの副作用

「きみはしあわせになるのをおそれてるんだよ、チャーリー・ブラウン」
「幸福はきみのためになるって思わないか?」
「どうかなぁ」
「副作用はないかな?」

13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きる言葉

しあわせになること。これは多くの人が抱く望みである。しあわせになりたいし、自分の大切な誰かにもしあわせになってほしい。
しかし、しあわせになることが怖い人も存在する。そんな人たちとしあわせになる副作用について考えてみたいと思う。

「大切にされない」経験

例えば虐待を受けてきた人たちである(全ての人にあてはまるわけではありません)。虐待と言っても色んな形があるが、共通しているのは、守ってくれるはずだった誰かに「大切にされない」体験である。渦中にいるとき、自分の生きている場所が異常であることに気づく人は少ない。それが日常であるからだ。家庭の密室で起きている嵐は隠蔽される。そしてこれらの体験は、心の奥底に溜まり続け、その人の人格を蝕む。

回復の3段階(J.ハーマン)

虐待など、トラウマからの回復について、J.ハーマンは回復の3段階モデルを提唱している。

第1段階 安全の確立
虐待的環境から逃れ、心身の安全が確保されること、そして自己コントロールを取り戻すこと

第2段階 想起と服喪追悼
トラウマ体験と向き合う

第3段階 再統合
消すことのできない過去を抱えながらも、自分の人生を再構築していく

これらは螺旋的に動いていくものであるが、しあわせになるとは、この第3段階のテーマであると考える。

なぜしあわせが怖いのか

人生の嵐を生き延び、安全な環境に出会い、回復の一歩を踏み出した時、しあわせになる選択肢が自分にもあるということを知る。しかしここからが副作用との闘いである。
なぜしあわせになることが怖いのか。
自分を大切にされてこなかった人は、「私は価値のない人間だ」と思いがちだ。本来ならば守ってくれるはずだった大人からそんなメッセージを与えられてきたのだから、当然の心理でもあるだろう。幼少期から刷り込まれた負のメッセージの力はとても強い。そしてそれに相応しい人生を歩もうとしてしまう。楽しんではいけない。休んではいけない。ご飯を食べてはいけない。しあわせになってはいけない・・・。「私なんかが」がいつも付きまとう。
そして、自分にとって心地よいものを選んでしまった時、激しい罪悪感に襲われる。
また、何か良いことが起きたあとに必ず悪いことが待ってるといった経験をたくさんしてきた場合も、しあわせを恐るかもしれない。180度ひっくり返る経験とも言える。例えば、急に母親が豹変したように怒鳴り出したり、優しくされたと思ったら暴力されたりといった経験である。

副作用とうまく付き合う

しあわせになることを望んだ時、どのようにしてこの副作用と付き合っていくことができるのか。私はまだ模索中である。

1. 小さな心地よいをつみ重ねる
まずは小さな心地よいを選ぶことを許すことが役立つと感じる。お腹がすいたから、ご飯をたべてみる。眠くなったから、昼寝をしてみる。そうすることで、しあわせになることへのハードルを下げることにつながると感じる。

2. しあわせを知ってる人とつながる
しあわせの感覚を知っている人と話すことも良い。これはしあわせが必ずしも怖いことではないといったことを感じることに役立つかもしれない。

3. 負のメッセージに打ち勝つ
心の底に横たわっている負のメッセージに打ち勝つ誰かや言葉に出会うことである。これはしあわせを許すために強力である。例えば、「あなたのことが大事だよ」といったメッセージを受け取ること、「私もしあわせになっていいんだ」ということを誰かと共有することなどがある。

今までの当たり前から抜け出し、しあわせになることは怖いけれど、回復しつづけることで、しあわせに近づけるようになりたいと思う。

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