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トラウマ

簡単に言葉にできない記憶、
整理がついていない記憶、
バラバラでつながらない記憶、
言葉にするまでに時間がかかる記憶、
でもね、無いわけじゃないんだよ。
そこに記憶はある。
なかったことにされることほど、つらいものはない。

フラッシュバックが原因でご飯が食べられなくなり入院した時、
Nsに、「身体の回復が優先だから、トラウマの話はしないで、今は聞かないよ」と言われた。
たしかにそうなのかもしれないけれど,
トラウマが癒えなければ前には進めないし、なによりそうやってトラウマは孤立させられるんだよね、と思った。
誰ともつながれない、
共有できない、
見てみぬふりをされて、
トラウマは孤立化する。

一方で、どれだけトラウマの事実を話したとしても、その恐怖や気持ちは伝わらないし、誰にもわからないとも思う。
結局、トラウマはどこまでいっても孤独だなと思ってしまう。

だけど、ほんの一部、辛抱強く隣に在ってくれる人の存在に気づいた。
そんな人たちが、"今" に引き留めてくれているおかげで、トラウマに呑み込まれることが減ってきている気がする。
確かに "あの時" は苦しかった。
でも "今" は安全だよ、大丈夫。
これを積み重ねていくこと。

トラウマに対するケアって、突き刺さっている棘を慎重に抜いて、でも刺さった傷口は残っていて。
その傷口に新しい何かをそっと塗布することなのではないかと、ふと思った。
そして、回復とは、足にぐるぐるに巻き付いて歩くことさえできなかったのを、肩にどうにか担いで、何とか歩けるようになることであると思う。

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