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フィロソフィーのダンス「ムーピー・ゲーム」の分析による「火の鳥未来編」再考

みなさんこんにちは、SOです。2024/2/21にフィロソフィーのダンスの新曲「ムーピー・ゲーム」が配信されました。

03. ムーピー・ゲーム
作詞・作曲は児玉雨子さん、共作曲・編曲にyuigotさんをお迎え。
手塚治虫さんの名作”火の鳥”の未来編で描かれる「ムーピー・ゲーム」をモチーフに永遠の輪廻転生の中で変わらぬ二人の愛を、ジャージークラブのビートに乗せて歌う一曲です!配信ジャケットにも作中に登場するマサトとタマミの姿がデザインされています!

https://danceforphilosophy.com/news/2024/02/21/4518

僕は元々手塚治虫のファンということもありますが、とにかくこの曲が良すぎて、完全にツボにハマって抜け出せなくなってしまっています。今回はこの曲を分析して、火の鳥未来編を改めて考察してみようと思います。
原作をあまり知らないフィロのスファンや、逆にフィロのスも児玉雨子さんもあまり知らない火の鳥ファンに、原作と曲、これら両作品の良さが伝わるといいなという気持ちです。
ぜひ原作を手に、この楽曲を聴きながら読んでいただけると嬉しいです。楽曲はこちらから。


ーーー後日追記ーーー
アルバムNEW BERRYが発売され、公式な歌詞も公開されています。
本記事は歌詞公開前に前のめりに書いたので、不正確な点がありますが、修正せずにそのまま公開しておりますのでその点はご容赦下さい。
ぜひ歌詞カードも合わせて見比べながら楽しんでいただけるとありがたいです。


ムーピー・ゲーム

ムーピーゲームというのは手塚治虫の漫画「火の鳥未来編」で描かれている架空の遊びで、ムーピーという不定型生物が発する特殊な超音波によって脳を刺激し、幻覚を見る遊びです。ドラッグのような捉え方もできる不思議な力ですね。

僕は二十歳前後のいわゆるモラトリアム期に手塚漫画にハマりまして、それなりに影響を受けて今に至ります。火の鳥ももちろん大好きな作品なので「ムーピー・ゲーム」というタイトルには驚きとともに、最初は正直、不安を抱きました。火の鳥はポップミュージックのテーマにしては高尚すぎるというか、気軽じゃないなと思ったんですね。というか、なんか強すぎる。
それとあえて「ムーピーゲーム」を切り取るというところにも、火の鳥の本質から外れた楽曲になるのでは…という不安もありました。
ただ、作詞の児玉雨子さんのことも以前からファンですし、雨子さんが生半可な詞を書くとは到底思えてなかったため、不安もありつつ、どんな曲になるのかドキドキしてこの曲の配信を心待ちにしていました。

そして実際に楽曲が配信されたのですが、この曲、めっちゃくちゃいいですよね。僕が事前に抱いていた不安は全くの杞憂でした。この楽曲を聴けば聴くほど、児玉雨子さんの「火の鳥」未来編に対する愛とリスペクトを感じ、心から感動します。

ジャケットがすでに神

早速ですが、この楽曲、ジャケットに手塚プロのコピーライトがある通り、本家監修のもと、主人公マサトとムーピーのタマミを中心とした原作のイラストが用いられています。この時点ですでにやばくないですか。手塚プロ公式からもこの作品のリリースがアナウンスされていました。

そしてこのジャケット、よく見ると左側のタイトルの横に小さな文字が書かれています。画像を傾けて切り取ってみます。

拡大しないのよくわからない小さな文字ですが、実はここに、英訳された本作の歌詞が書かれています。この曲は3/13に発売されるアルバム「NEW BERRY」に収録される予定で、先行配信開始直後はまだ歌詞は公開されていません。しかしこのジャケットには英訳の詞が書かれているため、曲を聴きつつ、この詞を照らし合わせることで実際の歌詞を聴き取ることができました。

歌詞+楽曲構成分析

このジャケット写真からGoogleレンズによる文字認識機能を使ってテキストをコピーし、曲を聴きながら日本語詞を書き起こしました。AIテクノロジーが生活の一部に溶け込んでいるのは手塚治虫が描いた未来の姿。そして文字にして読むことで児玉雨子さんの思考に近づけるような感覚を覚えたのはまさにムーピーゲーム。僕なりにこの物語に意識をディープダイブさせて読み取ってみようと思います。
不正確な部分やどうしても聴き取れない部分もありますが、そこは配信直後ということでご容赦ください。

歌詞には、歌割りに合わせてメンバーカラーを使って表記します。
💙:奥津マリリさん
💓:佐藤まりあさん
❤️:日向ハルさん
💚:木葭ののさん
💜:香山ななこさん

イントロダクション:マサトとタマミの日常

この曲にはイントロはなく、奥津マリリさんの「Darling, darling Let's play MUPIE GAME」という歌い出しから始まります。
奥津マリリさん→日向ハルさんがゆったりと一回しずつ歌い、そこから「MUPIE GAME Tu la la la la」というフレーズを挟んでさらにもう一回しを香山ななこさんと佐藤まりあさんが歌い分ける序盤は、漫画のイントロダクションと同じく、マサトとタマミが日常であるムーピー・ゲームをしている様子を歌っています。

ここは漫画原作のイントロダクションのシーンですね。
時は西暦3404年、地球は急速に死に向かっていて、地上は人間が住めない状態になっています。人々は世界に5つあるメガロポリスという高度に合理化された地下の都市に集約して暮らしています。娯楽も生活も全て機械化され、人々がひ弱で無気力になっている中、1000年以上前のハワイ(現代の我々の知るハワイ)の様子を知識として得たムーピーのタマミは、ムーピーゲームを通じてマサトと2人きりでハワイの日光、波、海風、白い砂浜のなか、幸せを噛み締めています。
ムーピーゲームはマサトとタマミの2人きりの愛の営みであると同時に、この時代の人々が忘れている「生きることの幸福」を味合わせてくれているのです。
優しくしっとりとした歌い回しは、2人きりの幸せな日常を感じさせます。

ラップパート:物語が動き出す

聞き取れていない部分は○○と表記していますが、英語詞からおおよその意味合いは読み取ることができます。
ここからのラップパートは、漫画原作のキーワードをうまく盛り込み、リンクさせて物語を一気に動かします。

まず香山ななこさんの部分は、マサトの上司であるロックにタマミの存在がバレたシーン。マサトとタマミは愛し合っていますが、不定型生物であるムーピーはムーピーゲームによって人を狂わす危険生物とされており、ロックによってマサトはタマミを始末することを命じられます。

続く佐藤まりあさん→木葭ののさんパートでは、タマミを殺すことなどできないマサトが、コンピュータに支配されたメガロポリス・ヤマトを脱出するシーンです。「ハワイにする?軽井沢にする?」というのは、逃げ出そうとする2人が指名手配され、四面楚歌で頭を抱えるマサトを慰めようとするタマミのセリフ。see you mother computersはマザーコンピュータが支配するメガロポリスから地上に脱出する様を表現していると思いました。
「ダニューバー」と「ハレルヤ」はそれぞれのメガロポリスを支配するマザーコンピュータの名称であり、マザーコンピュータ同士の意見の食い違いにより、このあと人々に戦争を引き起こさせます。

通気口をたどって地上に上がったマサトとタマミは全身に凍傷を追いながら、まさにフラフラになって猿田博士のいる地上のドームにたどり着き、そこで生きる意味と向き合います。

猿田博士は地上で1人、人工的に失われた生きものを復活させようとしていますが、そんな猿田博士は、機械の判断によってメガロポリスで戦争が始まることを知ったとき「なぜ機械の言うことなど聞いたのだ!なぜ人間が自分の頭で判断しなかったんだ」と叫びます。
最後の日向ハルさんパートのフレーズがうまく聞き取れなかったのですが、英訳詞を日本語に直訳すると「私の愛は世界を破壊するAIを欺く 想像は力」といった感じでしょうか。Imagination is powerというフレーズがこのメッセージを想起させました。人間が自ら考えることを放棄することを滅亡に結びつけている様は2024年の現代にも痛切なメッセージだと思います。

ここまでのラップパートで一気に漫画の半分ほどの物語が進んでいます。

間奏

全体で2:58という短い曲ですが、1:21〜1:46くらいまでのおよそ25秒ほどは長めの間奏です。ここの間奏には物語の中で3つの意味合いが込められているのではないかと思いました。

まず1つ目は超水爆の爆発による地球の滅亡。ラップパートの部分でメガロポリスは戦争を引き起こし、次の瞬間、世界5つのメガロポリスで同時に超水爆が爆発し、地球は放射能に覆われます。原作では聖書に書かれているソドムとゴモラが引用されるシーンです。ティンパニーのような打楽器音も爆発を想起させます。

次に想像したのはカプセルで回復してきるタマミの状態です。小さなボリュームで「Let's play MUPIE GAME Tu la la la la」とリフレインされますが、これは次の「ゴンドラに乗って幸せ」の歌詞につながるタマミの状態で、このときのタマミは弱っていて、うまくムーピーゲームをすることができないのです。

そしてもう1つは、マサトが火の鳥から永遠の生命を授けられ、宇宙生命(コスモゾーン)という生命感と出会うシーンです。このシーンは、後続の「Fly High!」「Dive!」という部分で表しているのかもしれませんが、マサトは放射能に覆われた地上で死を覚悟したとき、火の鳥から滅亡する地球を復活させることを命じられ、永遠の生命を授けられます。このとき、火の鳥とともにコスモゾーンを旅している様もこの間奏で表現されているのではないかとも思えます。

歌い回しによるクライマックスまでの展開

間奏の後は、物語がクライマックスへと駆け上ります。
火の鳥未来編の後半は30億年の月日を跨ぐ壮大な話で、極めて高尚な生命感が描かれます。その中で重要なキーワードが先ほど間奏の部分でも触れた宇宙生命(コスモゾーン)です。「Fly High!」と「Dive!」という詞は、コスモゾーンの概念を想起していて、Fly Highは星や宇宙といった極大のもの、Diveは細胞や素粒子といった極小のものだと思いました。そしてそれら全ては惑星や分子の構造のように双方に繋がって「生きている」という考え方がコスモゾーンです。コスモゾーンは人間や生物だけではなく、あらゆる存在が「生きている」という手塚治虫が描く生命感です。

コスモゾーンを想起する歌詞以外は、マサトとタマミのやりとりが歌われていますが、2人の心と繋がり変化が詞によって表現され、物語を動かしていると思いました。そして、この部分を通じて、僕自身、今まで気づいていなかった火の鳥の解釈も見えてきました。

まず「ゴンドラに乗って幸せ」の部分は先ほども触れた通り、カプセルの中にいるタマミがムーピーゲームを試みるも、弱っていてうまくできないシーンのセリフです。
マサトはタマミのことを心から愛していたはずですが、この時、タマミ自身ではなく「美しい容姿でムーピーゲームで夢を見させてくれるタマミ」のことを愛しているのではないかと気付いてしまったのではないかと思いました。奥津マリリさんパートの歌詞がうまく聞き取れていないのですが、ここの歌詞(Reality must be muddy mess And yet we never stop dreaming)は、そういう現実から目を背けつつ、夢の中で幸せになっているからいいんだというようなニュアンスを感じました。そしてこの解釈はこの先の物語の布石になります。

マサトは火の鳥から永遠の生命を授かりますが、タマミは最後の力でその生命力の源を分析しようとした猿田博士により、容姿がアメーバのような元の姿に戻ってしまいます。そして世界には永遠の生命を授かったマサトと、過酷な環境下でも生きることができるアメーバのような姿のタマミの2人だけになります。
現実として1人取り残されたマサトは、なぐさみとしてムーピーゲームで夢の中に入ります。しかし夢の中で「まだ私を愛してくださる?」と問うタマミに対して、マサトは「愛したい…だが…今の俺には…」としか言えません。タマミはマサトを愛していますが、現実を前にしたマサトは、かつて誓ったはずの永遠の愛を揺らがせてしまっているのです。そして、やがて500年の寿命を経て、タマミは先に死んでしまいます。

タマミを失い、夢を見ることができなくなって1人孤独になったマサトは、「話し相手が欲しい」という思いで猿田博士の残した情報をもとに人工頭脳や人工生命を作りますが、満たされることはありません。
「不滅の生命よりもいま会えなきゃ意味なんてない」という歌詞にこの辺りの苦悩を感じました。

やがて人工的なものではだめだと気付いたマサトは、数千年の時を経て放射能が浄化された原始的な未来の地球の海に有機物を落とし、30億年かけて原始生物から生き物の進化を見届けます。
そして原始人が誕生した時、火の鳥が再度現れ、マサトはコスモゾーンとして火の鳥の体の一部になるのですが、この時マサトはコスモゾーンとしてタマミと再会します。タマミはコスモゾーンとしてずっとマサトを待っていたのです。
「私 誰かになれない」という歌詞は、かつての「美しい容姿でムーピーゲームで夢を見させてくれるタマミ」ではなく、コスモゾーンとしての存在でしかないタマミのセリフだと想像します。
マサトは30億年かけて地球を復活させ、その役目と長い孤独から解放されると同時に、自分に必要なものは夢ではなく、タマミそのものだったことに気づいたんだと思います。「君の代わりなどいない」という最後の歌詞は、ようやく心から1つにれた2人を表しているのかなと思いました。

漫画原作ではこの後、「今度こそ正しく生命を使ってくれるだろうと信じたい」という火の鳥の言葉とともに物語は火の鳥黎明編へと続き、永遠の輪廻転生が続きます。

総括

いかがだったでしょうか。
長々と書いてしまいましたが、この曲は2分58秒の中で火の鳥未来編の物語全編を忠実に表現しています。たった2:58のこの曲で30億年にわたる壮大な物語を表現している。なかなかの衝撃を受けました。

また直接的にはマサトとタマミの永遠の愛を歌っているのですが、歌詞を紐解くことで、コスモゾーンといった手塚治虫が描く世界観も前提としていて、決してインスピレーションではなく、原作への深い愛とリスペクトがある楽曲だと思いました。
人間や生き物だけでなく、地球や宇宙、細胞や素粒子など全ての存在が生きているという考え方は、架空の不定形生物であるムーピー・タマミの存在が象徴しているのではないかとも捉えることができます。そして、永遠の愛でタマミとマサトが1つになることは、生き物を超えた生命の繋がりを象徴していると感じました。この辺りは、楽曲の感想というよりも、やはり楽曲を通じて原作への解釈が深まったという感覚です。

手塚プロ公認の作品であるため、何らかの利害関係を勘繰ってしまう部分はありますが、それでもこの楽曲は火の鳥への深い愛とリスペクトを持った作家・児玉雨子さんの本気のファンアートであるかのように感じずにはいられません。

一方で、ポップミュージックにここまでのメッセージを詰め込む意図があったのかと考えると、そこは「火の鳥そのものが持つメッセージの強さ」故なのではないかなと思う部分もあります。
僕のように深読みすることで発見できる魅力もあるのかもしれませんが、そもそも芸術というものは知識を必要とせずに感動できるものであると思っています。知識が感動のスパイスになることはありますが、何も知らずとも「この曲好き!」となれることこそ素晴らしいと思いますし、それこそがポップミュージックの真髄だと思っています。なので、本来的にはつべこべ言わずに「この曲いいよね!」か全てだと思います。

僕のようなフィロのスファン+手塚治虫ファン+めんどくさ型の言語化オタクの戯言など、本質的にノイズになり得るとも思っています。と言いつつ何かのスパイスになればいいなという気持ちもあります。めんどくさいですね。
決して、押し付けたり知識をひけらかすつもりはない点だけはご理解いただきたいです。ただただ、好きなだけなんです。そして感動したので、その感動を言葉にしたかったんです。もしノイズになってしまったらごめんなさい。繰り返します、あなたが感じる「好き!」の気持ちが全てです。

ちなみに全然話は変わりますが、「ムーピー・ゲーム」はイントロなしで奥津マリリさんの歌から始まって、最後も奥津マリリさんの吐息のような歌声で終わっていますが、これは「シスター」と同じ構成ですね。シスターは女性同士の恋愛を描いていますが、ムーピー・ゲームは生命としての愛を歌っていて、テーマや構成ももしかしたらちょっと意識して制作されているのかなとふと思いました。

手塚治虫が描いた「火の鳥未来編」。読めば読むほどいろんなことに気付き、言い表せない言葉が溢れ出る感覚を覚えます。決して答えはありません。作品を手にとったあなたがどう感じるか、芸術の本質をもまた感じさせられます。
そしてフィロソフィーのダンスが歌う「ムーピー・ゲーム」もまた、答えを提示しているわけではありません。ただ、僕はこの楽曲を通じて、児玉雨子さんの原作への深い愛とリスペクトを感じました。そして僕は、とても素晴らしい楽曲を作ってくれたことに感謝し、最大限のリスペクトを送りたいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
読んでくれたあなたが少しでも何かを感じていただけたら幸いです。
それではまた。

おまけ

もし火の鳥のことほとんど知らないという方がいたら、手塚プロ公認の激ゆる紹介動画がおすすめです。

そして今回改めて火の鳥未来編の理解を深めるため、こちらの対談も参考にさせていただきました。


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