人生初の心療内科に行ったら先生が糸井だった話
受付を済ませ、名前を呼ばれ、部屋に入るとそこには糸井が座っていた。
※すみません、もちろん元阪神の糸井さんは座わってウォリませんでした。
先生(以下、糸井)は見た目以上に喋り方も糸井みたいだった。(私は引退後の糸井しか知らないのだが)
私は糸井に話し出すや否や子供みたいに泣きじゃくってしまった。
まじ仕事向いてなくて涙止まんなくて行きたくないんダワ。という内容を話した。糸井の前で泣くなんて嫌だったが涙は止まらなかった。
優しく聞いてくれるというよりは、さんまさんみたいに「うん、ほいで?」みたいな感じで間髪入れずに質問してくるスピード診断で、「どうしたいですか?」みたいな感じで言われたので、素直に「自分しんどいのでとりあえず休みたいっス…!」というと3週間休職の診断書を出してくれた。
傷病名は抑うつ状態。
辛かったですね、とかよくここまで我慢しましたね、とか、休みましょう!みたいな感じではなかったので、そういう事なんだと思う。糸井の目に私はきっと甘ったれた仕事休みたいだけの小娘に映っただろう。その通りである。薬はなるべく飲みたくないと伝えたこともあってか、診断書欲しいだけの人もいるからどうのこうので、1週間後も来いと言われた。その時に休職を延長するかどうするか見ましょか。的な感じで終わったと思う。 こんなふざけた感じで書いているが、内心はだいぶ焦っていた。とりあえずもう出勤できないところまで自分で追い込んでしまったので、診断書もらったから休ませてくれと会社へ連絡をした。わかってもらえた。ので、とりあえず休ませてもらって、現在に至る。
さあ、これからどうしたものか。もう誰にも合わせる顔がない。突然休んで、突然退職宣言するって…ヤバすぎる。でももう出勤は絶対にできない。泣きながら吐くと思う。もういっそのこと退職代行に頼めばよかったのか。とりあえずどのような形でも復帰できる気は一ミリもないので一刻も早く退職の意思をお伝えしなければならないのだが、まだできていない。
大変大変ド迷惑な話である。愛を持って育ててくれた両親にも、いつも支えてくれている恋人にも、もちろん会社にも、そして自分にも本当に申し訳なく思っているし、いい歳して恥ずかしいし、みっともないし、惨めだ‥という気持ちで、休職してからも毎日泣いていた。泣いたってもうアラサーなので何も解決しない。しんどいだけだ。もう泣きたくない。
ただの甘えだと自分でも思っている。診断書も出してくれたが、出してくれただけで、別に元気なんじゃないかと思っている。みんな私以上に大変でしんどくても、それでも踏ん張って何食わぬ顔で生きている、そう思っている。一方、人生でこんなに泣いたことはない程泣いていたり、眠りが浅すぎて何度も起きたり、早く目が覚めたり。他に自分より適任の人がいるとか、周りの人も早く辞めて欲しいと思っていると感じたり、こういった症状は本物だ。深刻化して本当に鬱になってしまうのではという恐怖もある。
今後のこと。お金のこと。次の仕事のこと。ずっと頭から離れなくて休めない。これは今の仕事を辞める事ができて、次の仕事が見つかるまではずっと消えない。当たり前だ。全ては自分が逃げ出してしまったから。
今後どうするのか、どうなったのか、また記録に残していきたいと思う。数年後、この無様な有様を見た未来の自分が笑えるために。
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