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『エッセイでもいい、日記と呼んでも結構、雑文といってもかまわない』ちょいとした難病患者の僕が介護施設で職員の方たちと同コミュニケートしている。新たな「感性の超規模言語モデル」の構築を目指せ!

リハビリ関ヶ原。

頼りたい人がいる。頼りになる人がいる。

 日頃から僕は、「リハビリテーションの場は、関ヶ原だ」と言ってきた。自分の身体を自立させるためにマシンの力を借りて、自分の身体を虐めて、鍛える。次第に情が通う。
 しかし、施設職員と利用者の関係を思う時、僕は職員の力を「借りる」のは間違いだと思っている。職員は仕事として、じぶんを貫く。利用者は、じぶんを我が儘に開いて、リハビリの土俵で戦う。介護メンタル戦争とは、この謂いである。
 ここに掲載したイラストは、カラダの動かないパーキンソン病の僕がリハビリに励む際に行なっている。わがままなコミュニケーションのひとつである。運動する合間の計15分で、漫画やイラスト、似顔絵を描くこと。皆さんがどれだけ喜んでくれているかは別として、片足棺桶ツッコミ男の思想的(死相的)営為に違いない。

ライオンの絵を描いているのは僕ではなく、プロの人。一方、施設の請求書の封筒を開いて鉛筆でしけた落書きを描くのが僕の営為であり、「リハビリ関ヶ原」である。

90歳ダンディ・おんちゃんは戦前から鎌ケ谷に住んでいる。一人暮らしだけど、さみしくなんて、ないやーい。

月曜朝の送迎車内は、The・シャベリーズの会話がポンポンはずみます。




高齢淑女だってイケメンがお好き!

〝皆さん、リハビリテーションでいい汗かいて自分の力で動こうとしてますよ〟

もうひとつのキーワードは〝連鎖〟。「感性の超規模言語モデル」の構築を目指せ!

生きるとは、「呼吸+連鎖」であり、「時間✖空間」である。

 生成AIは、自ら「わたしは意志をもってはいない。皆様のお役にたてることができるのみだ」と公言している。とりわけ,視覚、味覚、嗅覚、聴覚、触覚をAIが近い将来獲得できるという。これは正しい。もちろんAI主体に意志はないから最初の一発は、ホモサピンスからの指示に規定される。大規模言語モデルは、これ以降、言語構造、連想関連、ダジャレ、語呂合わせに、たがいの 吸引をもちいて愛の引き合いがはじまる。現生人類の個性に基づいて、 四方八方、関連予期言語を求めて、ひも付きの矢を放つ。こうして、AI頭脳は「己がその事象との駆け引きのなかで」最大限の言語堆積を実現化づける。
 しかし、喜怒哀楽を超越した、six sense,つまり、論理ではとらえられない感性については、生成AIは持て余すこととなってしまう。
 今後僕は、地球の滅亡と歩を合わせ、「脱・感情」、「総合的皮膚・肉質感情」が、世界を席巻していかねばなるまい。 
 その生命活動宇宙を基礎支えするのも、また言語なのだけれども、それは今日Chat-Gptが実現しているようなものでは決してない。神に頼るような言語・精霊の世界でもない。
 僕は、それは、文学、美術、音楽、彫刻といった芸術領域で可能となろうと期待している。
 今僕の足は竦んでいるけれど、さあ! 一歩前へ。


僕の通うまた別の出以下のコミュニケーション・ヒューマン。、介護される人靉石、費用、


介護には、介護される人の意志、介護する人の対価など、様々な万代が横たわっている。それを横断し、矛盾の商家をしようというのが、もう、僕の役目ではないのです。誰もが表面的には楽しそうに、幸せを装っているかもしれないではないか。2024年日本。リハビリの汗の一滴に、あなたなら何を見るだろう。突きつけられているのは、他人の貧困を心配することでもないし、おのれの欲望を突っ張っていくことでもない。
じゃあ、いったい何なんだ、とあなたは尋ねるやもしれない。そう、その地点だ。地雷が埋まっているのは!思いだしてみよう、小学校1年生大きなまっさらな或いは兄弟姉妹のお下がりのランドセル。周りの子供はみな不安そうにしている、それでも微笑んでいる。ホモサピエンスって、否、生物って、

これ

なんじゃないかな?初めての刹那、シアワセ? それとも、ふしあわせ?精神の瞬間絶対態様は、強いのである。お饅頭食べ過ぎてお腹壊した美しいおばあさんがいて、うらのせまいみちには、アイスキャンデーを食べすぎて下痢ったった5歳の坊主がいる。それぞれの瞬間に一人一人が屹立し、幸福もしくは 悲劇を体験してしまうかもしれないけれど、彼、彼女は、生きた! のだ。この事実に異議申し立てを決してさせないつもりだ、ぼくは。戸やったら「幸せ」になれるのか。一人一人の呼吸が知っている。


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