見出し画像

小説・私小説掌篇『風の行方』~団塊の世代の夫婦。昔ながらの大人になることを拒んだが、結局、いかなる大人にも親にもなり得なかったのかも。一人娘の心の振幅の広さにうろたえながらも、自分たちなりの古稀の生き方を模索する。

   先日、満七十歳の誕生日を迎えた。妻と娘が回転寿司で祝ってくれるというので、ありがたくご馳走になることにした。
   娘は三十五歳になるようだが、紆余曲折あってひとりで暮らしている。思い出したように、何かと理由をつけて泊りに来る。妻とは時折メールでやりとりしているようだが、私は高校進学の前後からまともに話した憶えがない。それでも父母の誕生日には形ばかりの贈り物をよこす。「本心はどうなのか」気がかりではあるが、妻がいう通り「あの子のことだもの、風にでも聞いてみなければわからないわ」と匙をなげるしかない。
 妻はさりげなく「風」といったが、忌まわしい記憶につながる語彙であった。挙式後すぐに妻は妊娠した。
「もうしばらく仕事を続けたいわ」
「ぼくも、子どもを養う自信はないな」
 私たちは人工妊娠中絶を選んだ。 翌日も、花冷えというのか身体の芯まで寒く、風がうなじを刺した。会社を早めに引け、アパート手前の鶴見川にかかる大綱橋のたもとで妻の帰りを待った。川面にも冷たい風が走り、泥のにおいとともにさざ波をたてていた。人工妊娠中絶……呟こうとしたが、唇が渇いてうまく声にならなかった。
 ゆっくりした足取りで戻ってきた妻の顔がわずかにむくみ、蒼ざめて見えた。ふたりとも
決断は早かったが、その行ないを許したわけではなかった。妻は口では、
「二十四で仕事を辞めて専業主婦なんて。何のための人生か分からない。私の責任で堕ろすだけ」
と意地をはっていたけれど。
「風が冷たいね」
「憎たらしい風。こんな日にね」
 対岸のほころび始めた桜に目をやり妻がいった。トラックが橋を揺らしながら走り去ったとき、妻の肩に手をまわした。うすい骨格が凍えたように震えていた。私の肩にも小さいのにずっしりと重い荷物が載っていた。ふたりには、大人になる心がまえがまだ熟しきれていなかったのだ。
数年後、私たちもよちよちと人生を歩みはじめ、子どもを欲しいと思ったとき、妻は卵巣を
患い、片方を摘出した。しかし諦めず治療をつづけ、どうにか娘をさずかった。式を挙げてか
ら十年が流れていた。娘は待ちに待った宝であった。
 
車で十分ほどの所に評判の回転寿司店がオープンしたというので出かけた。私はパーキ
ンソン病というわずらわしい疾患のおかげで身体の自由が利かない。わずかだが酒も呑むためを共にしていたが、いつも妻が貧乏くじを引き、少量のビールさえ我慢する。これも昔流の男の甘えなのか。
 四人掛けのテーブルに腰を下ろした。娘は座りやすく椅子の位置をととのえ、ハンドバッグを膝に置いた。私の顔を正面から見すえ、
「そうそう、お誕生日、おめでとう。七十になったのね」
と、かるく頭を下げた。
「昔風にいえば古稀ね」
「ああ、還暦とか、米寿とかの、あれね」
 ささいな安心を私は飲みこんだ。忘れられてはいなかったという事実だけで、体内で消え去ろうとしていた炎がいきおいを盛り返した。その後の小一時間、私が話題に上ることは
なかったが、快さを損なうことはなかった。 

    帰り道、車が渋滞でのろのろしているところに、ボーリングのボールを腰に投げつけられたような衝撃をうけた。
「車は大丈夫。由梨ちゃん、何ともない?」
運転席の後ろにいた娘が首を左右に曲げている。リアウインドーの目の前に白いバンが
見えた。私たちの車は追突されたのだった。
 とりあえず車を降りた。梅雨入り間近の黄昏どき、風もだいぶ強く、首のあたりがひんやりする。妻と私に異常は認められないが、娘は首と後頭部に違和感を覚えるらしい。
   追突した側の運転手も車から降り、娘にしきりに頭を下げる。実直そうな五十半ばの勤め人風の男だ。娘は怒りを前にださず、相手の謝罪の言葉に耳を傾けている。時折、どこでいつ覚えたのか愛想笑いや手振りをまじえ、ちゃっかり大人の応対をしていた。男が穏やかな常識人だろうと察せられ安堵した。
    妻を見ると、ハンカチと車のキーを握り、不安げに俯いている。私と同様、戸惑いながらも娘の成長を頼もしく感じているに違いなかった。ところが後に妻がいうには「法律事務所に勤めたというので、実習も兼ねて、あえて口をつぐんでいた」らしい。自ら腹を痛めて産んだ、とりわけ女児への母の気遣いとはこれほど
までに繊細なものなのか。私には気の遠くなるような話だ。
ふと娘が小学生の頃、伊豆へ旅行したときのことが思い出された。帰路、渋滞につかまり、うっかり居眠りをして縁石に乗りあげた。
「由梨ちゃんがボートもっといっぱい乗りたいっていうしなぁ。あそこで止めときゃよかったんだよ」
 少しでも自分の責任を小さくしようと、幼児みたいに甘える。妻は、私のそんな恥知らずな企みを決して見逃さない。
「黙りなさい。あなたが犯したミスは、生涯あなたの体と心から消えることはないのよ」
オイルパンが損傷し、用賀のインターチェンジでついに動かなくなった。JAFや保険会社に連絡するなどの手配を私が行った。特別なことではないが、二十五年を経た今、同じことを三十五歳の娘がこなしている。娘が無表情のまま、
「損保会社の担当者が名義人と話したいって」
とスマホを私に渡した。
由梨の全身が数倍も大きくきらめいて見えた。自転車の乗り方を教えた頃の無邪気な笑い顔は、歳月の風がさらっていったのか、どこにも見当たらない。
――本件は松岡様には何の落ち度もない、被害事故ですから、弊社も関わりません。ただ由梨様が具合がわるく病院に行くようでしたら、わたくしどもにもご一報ください。
    損保の担当者は読みあげるように話した。必要な事柄を娘に伝え、スマホを戻した。ささいな事実が私の胸に、愕きと悦びと、ひとしずくの淋しさをもたらした。黄昏が少しずつ闇を深め、濃い菫色が月明りに馴染んでいく。生まれたばかりの夜の街景色は、水族館の厚いガラスを通して眺めるかのように朧だ。車のヘッドライトが、焼肉や薬品のチェーン店の看板、石造彫刻工房の前に鎮座した大仏の悟り顔などを、ゆっくリと照らし走り去った。
対向車のライトが、やりとりを続ける運転手と娘、そのわきに佇む妻を眩しいほどの明るさで浮かび上がらせた。
ふと己の性癖が若いころとはだいぶ異なってきているのではないか、と訝った。自分なりの仕事の流儀をつかみ、人の意見を退け、いい気になっていた頃である。一から十まですべてを把握しなければ、納得がいかなかった。家庭生活も例外ではなかった。
    ところが今日は勝手が違う。事故に至った細かい事柄に触手が伸びない。成長した娘を信頼しているのも事実だ。しかし枯れ井戸の底をさらうように胸のうちを覗いてみれば〈生きることの貪欲さ〉はしおれ、枯れはじめているではないか。  
十代の頃、天にも昇る勢いで繁茂していた貪欲さが、見る影もなく打ちひしがれている。それほど遠くない日におまえは消滅するのだと、頼みもしないのに耳打ちするやつがいる。
ようやく交番の巡査がやってきた。歩道でよろけている私を見るや、こう言った。
「お父さん、危ないから車にいてください」
昔のお巡りさんと違い優しい物言いだが、背後では国家が睨みを利かせている、との思いが染みついているせいか、何とも居心地が悪い。が、反抗するいわれもない。現在、私は弱々しい『団塊の老人』に過ぎないのだ。
三十分後、交通課の警察官がやってきた。ナンバープレートやバンパーなど追突か所を現場検証するという。見せてもらおうと車のドアを開けたら、先ほどの巡査と同じ言葉で制された。いじけた気分で杖を握り、車のシートに身体をおしつけ固まっていた。
    退職後パーキンソン病を患ってから、自分にも他人にも意地悪くなった。手足の震え、筋肉の固縮、ふらつきなどのため、服を着る、脱ぐ、風呂に入るといった日常の動作さえままならず、何もかもが面倒で、すぐに苛つく。
 
    娘の「首が痛む」という事実を重視し、人身事故扱いにしたため調書づくりの事情聴取にかなりの時間を要した。およそ三時間、事故現場にいたことになる。
 
    翌日の夕刻、娘から妻にメールが届いた。「やっぱりむち打ちだったみたいよ。きょうは日曜だから、やっている病院を見つけるのに苦労したみたい」
「たいしたことにならなければいいさ」
「とんでもない古希祝いだったわね」
昨夜の一件で妻も相当に疲れていただろう。それでも私をねぎらう短い言葉に深い想いが感じられた。久々に妻と素直に向き合えた。
ふと妙な思いが胸をよぎった。
(由梨にとって、むち打ちになったのも〈生きることへの貪欲さ〉のひとつではないのか)実は、娘は離婚協議中であった。三年前に結婚したが、互いを受け入れ、生涯寄り添う覚悟を育むことはついにできなかったようだ。
    私も妻も心を痛めている。この幸せを願わない親はいない。しかし、彼女の体内には辛い苦しい人生へ吹く風のルーレットでも埋め込まれているのではないか。恐ろしい想像をしてしまうほど彼女は〈凶〉を選んできた。
    七年ほど前に遡る。由梨は国立大学を卒業し、県庁に勤めた。親の気持ちなどおかまいなしに家をでて独り暮らしを始めた。ところが五年後、私たちが必死で止めるのも聞かず、辞表を提出した。仕事との相性、人間関係、さまざまな苦悩が彼女の脳裏を木枯らしとなって吹きすさんだのだろう。正規社員として採用されることが難しい時代に、誰もが羨む公務員という安定した職を捨て、なぜ彼女があえて生きにくい道を選択したか、幾度か話し合いの場を持ったがわからずじまいだった。
ほぼ一年おの後、あっけらかんとした顔で
「わたし、専業主婦になりたいの。料理教室にも通い始めたわ」
と言い出した。すでに結婚相談所に登録し、何名かの男と会ったという。そして半年余り、それなりの著名ホテルで結婚式を挙げた。あまりに目まぐるしく、陸上競技のリレー走でも見ているようであった。
 
ある日の夕食後、妻が思いつめた表情でスマホの画面を見ながら話し始めた。
「あの子はあの子なりに覚悟を決めたみたいよ。『ワタシ道を踏み外したかもしれないね』こんなメールが届いたの。もう私たちには、どうすることもできない」
妻が何をいいたいのか、しばらく理解できなかった。声音に温度がほとんど感じられない。言葉が見つからず奥歯をかんだ。
「結局、私の育て方が悪かったの。良かれと思って、小学校から私立に通わせ、無理してでも習い事はたいていさせてあげた。うちが貧乏なのに、あの子、お金の価値がわからなくなってしまったのよ」
    話の焦点がはっきりし始めた。彼女はあのことが言いたいのだ。
「あの子は銀行のカードローンで数百万円の借金をつくった。あなたに似ているのよ」
    結婚したての頃、私は仕事で少し嫌なことがあると、ストレス解消と称してオーディオやカメラ、ゲーム機など趣味の品をローンで買いまくった。妻は堅実な現金主義者であるから、夫と娘の金銭のだらしなさは、許しがたい罪のように感じられるのだという。
「昔のことは勘弁してほしい」
私は恐るおそる声に出してみた。
妻は、夫の声にはおよそ関心を寄せない。スマホに向かい新たなメールを打ち始めている。相手は娘以外にない。時折、妻は言う。
「わたしは嫌われているのよ。何からなにまで支配するってね。あなたは眼中にない」
    いくら話しても、暗い底なし沼に裸足で入っていくようなものだ。私は黙ってダイニングから離れた。
 
   隣家の柿の木が実り、色づきはじめた。これを目当てに、淡い青色の尾を水平に保ちオナガがさっそうと飛んでくる。涼やかな秋風に吹かれ、この鳥を見る度にいつも考える。
人は誰しも翼をもっているのではないか。形は千差万別だが、自分で風を起こし、〈生きる〉という青空を羽ばたくために。とは言え、望んだ場所へ確かに行くことのできる風を起こせるとは限らない。悲しみや苦しさばかりの世界に吹かれてゆくこともあるだろう。
私は近い将来、風さえ起こすことのできなくなる身だ。娘にしあわせの風を吹いてやることもできない。私も妻も、娘が起こす風がこれからどこへ吹くのか、命に代えても知りたい。
   それでも私は風に約束した。
「風の行方は、訊ねず」と。
 それを知っているのは、きっと由梨だけだと思うから。     〈了〉 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?