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逃げも隠れもする

 先日、東京ドームでRIZIN.28が開催され、一部試合がフジテレビでライブ放送された。同地での格闘技イベントの開催は14年半振りとのことで、視聴率がどうだったかは知らないが、テレビの向こう側の現地は大いに盛り上がっているように僕には見えた。

 僕が総合格闘技にハマったのは、2000年代初めのPRIDE全盛期の頃だ。最盛期は、PRIDEか猪木ボンバイエかダイナマイトか、いやいや紅白だろ!と大晦日に家族間でチャンネル争いが起きるほど盛り上がっていた。

数年前から、そのような"大晦日は格闘技"という流れはかなり薄れてきて、NHKの紅白vs民法各社の格闘技という図式は、残念ながら今はなくなってしまった。

あの頃は日本人選手も外国人選手も人気があり、どの大会も盛り上がった。僕も何度も現地観戦したことがあるし、大晦日に観に行ったこともある。

 

 魅力的な選手が多くいるなか、最も心惹かれ揺さぶられたのは、1992年バルセロナオリンピック男子柔道78kg級金メダリスト、吉田秀彦選手だ。

畳からマットの上に戦場を移した彼を、当時統括本部長として人気者だった高田延彦さんは「なぜ、この猛獣が集まるリングに上がってきたのか」と言っていたが僕も同じ気持ちだった。総合格闘技は、顔を殴ることも蹴ることも許されている。(一部顔面蹴りなしの場合もあり)

組んで、投げる・極める柔道出身者が打撃ありに挑むことは中々にハードルが高く、つまりバリバリの総合格闘家を相手にするのは不利なのだ。誰もが心配したのではないか、金メダリストが恥をかいてしまう…と。

 ところが、やってみたらそんな心配は全く無用だった。確かに受けること・もらうことに慣れていないし、もちろん打撃を出すのもぎこちなかった。これを言ったら根性論とか精神論になってしまうかもしれないが、オリンピック金メダリストのメンタルが、あり得ないような勇敢さと打たれ強さをもたらしたのかもしれない…。

彼はそれほどキャリアを重ねないうちに、"戦慄の膝小僧"と呼ばれ恐れられ、遂に対日本人無敗のままPRIDEを最後まで戦ったヴァンダレイ・シウバ選手を相手にすることになったが、その強力な打撃に臆することなく立ち向かった。

打撃を受け、どんなに柔道着が着崩れボロボロになっても、ガードを上げてジリジリと相手に向かう姿を見ていると心が震えた。若い頃のことだが、今でもよく憶えている。

 

 そんな吉田選手が煽りVで言っていたことが試合中の姿と同じくらい強く印象に残っている。(試合前にスクリーンに流されるインタビューなどのドキュメンタリー映像。相手を挑発するような内容が多いため煽りVと呼ばれ、これを観せられると会場は沸く)

「やっぱりね、男だったらビビっちゃダメですよ」

と吉田選手は言った。

たぶん本心だろうし、たぶん本当にビビってないのだろう。強がりではないのが分かったから、20代の僕は恐れ慄き固まった。

「男はやっぱ、ビビっちゃダメなんだ…」と。


 この吉田選手の言葉は良くも悪くも長年僕の頭と心に刺さり続け、自分の中では"吉田の呪い"と化し、碇シンジ君の「逃げちゃダメだ!」と同じくらい強烈に忘れられない言葉となった。

 ビビるな、逃げるなという台詞に感銘を受け、そうなってはいけないとイキりまくっていた20代の若者。あれから時は流れまくり、僕は40代のオッサンとなった。今でもことある度に吉田選手の煽りVが頭に浮かぶが、では、なんにでも勇敢に立ち向かう男になったのか?いやいや、全くそんなことはない。

むしろ、最近になってようやく「無理なものは無理」とか「一所懸命やってダメなら仕方なし」と言えて思えるようになってきた。

若い人が聞いたらダサいとか情けないとか思うかもしれないが、ある程度こう思えないと厳しいこともある。もちろん、強靭な肉体と精神を持ち無敗でいられればそれが理想的ではあるが、人生はとにかく簡単ではない。

退くこと=負けとは限らないというのを、少しだけ覚えていてくれたらオジサンは嬉しく思う。そして、ビビってはダメ・逃げたら終わりと自分を縛り過ぎてしまうことがないようにしてほしい。


 逃げるは恥だが役に立つ、という言葉の意味はよく知らないが、格闘技ブームのとき高田延彦さんと同じく世の中を大いに盛り上げ、モハメド・アリとの異種格闘技戦を実現させたレジェンドレスラー・アントニオ猪木さんは言っていた。「とことん恥をかけ。かいてかいて恥かいて裸になったら見えてくる。本当の自分が見えてくる」と。

何度倒れても、一回多く立ち上がること。七転び八起き。ビビりまくりな毎日だし、逃げることも隠れることもある。でも、諦めは悪い。大好きな格闘技がそれを教えてくれた。




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