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青春時代は名前で悩みがち

 例えば、井上さんに

「井上さんにとって、一番有名な井上さんは誰ですか?」と質問するのが好きだ。

鈴木さんでも、佐藤さんでもいい。

「鈴木さんにとって、鈴木と言えば誰?」

というように。

この質問は、時代やご時世で答えが変わったりするがのが面白くて好きなのだが、名字によっては殿堂入りとでも言うような絶対的な答えがあるのもまた面白いところ。

例えば織田さん。織田さんにこれを訊けば、「信長」が出てこないことは、本人がよほど意識していないかぎりない。

 

 後輩の井上君にこの質問をしてみると、彼は即座に「尚弥」と答えた。ボクシングの世界チャンピオン井上尚弥選手だ。

彼がスポーツ好きというのはあるだろうが、さすがは世界に名を轟かす"モンスター"、影響力がすごい。たぶん、数年前だったらこの答えは出てこないだろう。


さらに興味深いのは、流行やご時世のみならず、その人が何が好きとか、それぞれの価値観や年齢などにより同じ名字でも答えが変わること。

井上君の世代がもっと上だったら「陽水」や「順」になっていたかもしれないし、ゴシップ好きなら「公造」、お笑いが、特にモノマネ好きなら「小公造」にならないとは言い切れないのだ…。

僕が井上なら「雄彦」と答えると思う。


 

 そんな名前にまつわるお話。中学の1学年上に「木村」という先輩がいた。彼は、見た目もキャラクターもどこにでもいる普通の中学生だった。

特に勉強ができるわけではないが、追試の常連でもない。運動が苦手なわけではなかったが、部活には入っていなかった。

平凡な中学生の平凡な日常。少しだけ、先輩と話をしたことがあるが、彼は"普通な毎日"を受け入れられる大人しい少年に僕には見えた。

頑張らないが望まない。そういうスタンスは悪くないと思うが、本人の意思とは関係なく、見えない所から平穏な日々を脅かしてくるある存在がいた。

それは、距離のみならず普通の中学生からはあまりにかけ離れた眩し過ぎる人。たぶん日本では知らない人はいないのではないか…。

「抱かれたい男」「ベストジーニスト」などイケメンと呼ばれる人が獲る全ての賞を総ざらいし、あまりにも毎年ランクインするので大人の事情から殿堂入りしてしまうスーパースター。

僕らが中学生の時には、彼は既にデビューしていて、グループとしても個人としても名が知れていた。

先輩に例の質問を、

「木村と言えば誰ですか?」

と訊けば間違いなくこう答えるだろう。「タクヤ」と。


 

 1個上に「キムタク」がいる。これは中学生が大好物の、中学生にはたまらない話題だった。姿形なんて想像すらせずに、同姓同名というだけで勝手に期待値を上げてしまう。みんなジッとしてはいられなかった。

先輩の教室だから、コソコソしながら彼を見に行き、男子だとニヤニヤしながら、女子だと大きなため息をついて自分の教室に帰ってきた。もしくは、見た目は怖いけど根は優しいヤンキーの先輩に「見せモンじゃねーぞ!!!タクヤ傷ついてんだろコラァ!!」と怒鳴られ半泣きで戻ってくる奴もいた。

そんな様子を一人冷静に見ていたクラスメイトがいた。同じクラスの「木村」君だ。

彼は他人事のようにそっぽを向いていたので、当時既に発動していた"人が気になる病"を僕は抑えきれず、彼に近づいてみた。僕に気づくと彼は小さな声で、「あー、タクヤじゃなくてよかった…」と言った。おおよそ意味は分かるが意地悪く理由を訊ねると、「俺、自信ねーもん」と、彼はまた小さな声で言った。


 

 "キムタク先輩"が卒業してどんな進路を選んだのかは知らないが、僕らが2年生になった年も、新入生たちが先輩を見に行き騒ぎになっていたことはよく覚えている。先輩はできるだけ顔が見えないように窓側を向き、中学3年間はできるだけ名が挙がらぬようひっそりと過ごしていたというのは、姉を通して知り合った友人に、後に聞いて知った。


 それから木村拓哉が、アイドルとしてもタレント・俳優としても芸能界のトップに駆け上がって行ったのは周知のこと。

そこから察するに、先輩の苦悩は、たぶんあれから何年も続いたのではないだろうか…。


スターと同じ名前に生まれてしまったことが不幸だったのか、あるいは、先輩がみんなが振り返るようなイケメンだったら、少なくとも息を殺して過ごすような中学生活ではなかったのだろうか。

タラレバを言い出したらキリがないし、人の幸や不幸なんて一番他人には判断できないもの。

先輩が、あれからどんな人生を歩み、今どんな日々を過ごしているかを僕は知らないし、思春期の悩み事に全てを潰された、なんて話は、少なくとも僕は誰にも聞いたことがない。


 

 ではクラスメイトの「木村君」はどうしていたのか?彼は同姓同名ではなかったから目立たぬように過ごしていたわけではないのだが、とはいえ特に目立つタイプでもないので、良くも悪くも平凡な日々を過ごしていた。ただ、春になって新入生が入ってくると、少しだけ神経質になっていたような気もしないでもなかった。先輩を気にしてのことか、実は少し羨ましかったのか…。


 15年以上前になるが、同窓会といえるほどではない規模の小さな集まりで「木村君」に会った。僕らは大学生だった。

大学生くらいになると、中学生の頃には過剰すぎた自意識が一周廻って戻ってくる頃とでも言えばいいか、もちろん個人差はあるが、僕も彼も大分客観視ができるようになっていた。

相変わらずキムタクは大活躍を続けていた。当時の話になると、酔った彼は懐かしそうにこう言った。「いやいや、下の名前がタクヤじゃなくてよかったよ」と。

これは、細かく言うと高校2年生になったくらいの頃に、彼が言い始めた得意の自虐ネタだった。

「俺の見た目でタクヤはキツい」

「タクヤだったら病院でフルネーム呼ばれるのヤバい」

「同姓同名でもイケメンだったら、うまみあったかな」

自虐ネタとして多用していたから、僕はついつい"大丈夫だろう"と勘違いをしてしまい、高校生の頃に中学時代の部活仲間でファミレスに集まったとき、彼に言ってしまった。

「キムはさ、タクヤじゃなくてヨカッタよな!」

すると、彼は顔を真っ赤にして、当時話題になっていたイケメンスポーツ選手を引き合いに出して、

「○○君も、○○じゃなくてヨカッタよな!!」と言い、

それでも治まりがつかなかったのか、強めの天然パーマの髪を掻きむしりながら「それに、○○君には○○麺ってあだ名があるじゃん!」

と他の客が振り返るくらいの声で言った。

○○麺とは、僕の名前をもじった僕をイジるときに使うあだ名だ。

後にも先にも、彼にガチギレされたのはこの時の1回だけだった。


自虐的なことを言う人はこれが難しい。イジってほしくて言ってる人ももちろんいるが、あくまで自虐ネタであり、他の人が言うのは許せないという人もいる。「木村君」は後者だったのだ。

本人が自分で言ってるんだから、イジっても大丈夫

そう思い込むのは危険で、"大丈夫"と思い込まないように人と接していると、人を怒らすことが減ったのは確かなこと。「私は太ってるから」と言う人に、同じことは言わないほうが身のためなのだ。


 

 去年だったか、テレビを観ているとキムタクがCMで変な歌をうたっていた。

ドライブスルーでちょいマック〜

確か、そんな歌だったか。

初めて聴いたとき寒気がした。もちろん、武者震いではない。

ネット上には、「キムタクも歳をとってしまった」とか「しょうがないよ。あれで彼はオジさんなんだから」とか、「50目前なら、キムタクでもああなる」というようなコメントが並んでいた。

最近では、甥っ子がバイトを探しているという設定でバイト情報誌のCMに出ている。バイトをするような甥っ子がいるということは、それなりの年齢設定なのだろう。


 昔はネット上でもあまり目にすることがなかった、あの「木村拓哉」をイジるということが普通になっている。

なんならCMでも制作側に軽くイジられているのかもしれないし、もしかしたらマックのCMは彼の自虐ネタだったのかもしれない…。


 

 時代が変われば、人や環境や状況も変わるもの。

想像でしかないが、先輩も今、「キムタクと同じ名前でよかったー」なんてつぶやいているかもしれないし、病院で名前を呼ばれたとき、周りに笑顔なんて振りまいて堂々としているかもしれない。

思春期の悩みというのはあまりに大きくて、もしかしたら自分はこの悩みに一生を費やし、潰されるのでは?というくらい悩んでしまうもの。

でも、歳をとってから親に、"あんなことで悩んでた"と聞かされた時、すっかり忘れてて、笑ってしまうことがたまにある。


中島みゆきさんの名曲「時代」のように、

「あんな時代もあったね」

と笑える日は、誰にも必ずくるのだ。


青春時代、僕を悩ませた"○○麺"というあだ名。中年になった今、さすがに言われることはない。

それが残念なんて気持ちはもちろんないのだが、"ちゃん"や"君"や、色々なあだ名で呼ばれて喜んだりヘコんだりしたあの頃に比べると、名字にさん付けでしか呼ばれることがなくなったのは、何だか少し物足りなく、何だか少し寂しくもある。




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