マッチョと東大生

遥か昔の話、大学生6度目の夏をバイトばかりして過ごしていた。
父から「4年以上は払えない」と言われていたので学費を稼ぐ必要があったからだ。
就活戦線からは離脱していたし、長く通っている分必要な単位数も少なかったので、バイトに励む時間があった。学費を払っても貯金できるくらいの金を稼ぐことができていた。
実家暮らしとは夢のようだ。
週に1回大学へ行き、就活もせずバイトをして過ごす。両親はどう思っていたのか…。
未だに2人と当時の話をすることはない。

掛け持ちで始めた2つ目のバイトも1ヶ月の研修を終え、大分慣れてきていた。
毎月採用があるので後輩もできた。
まだまだ後輩に教えられる立場ではなかったため、新人さんたちと接する機会は少なかったが“出来の良し悪し”や“カワイイ・イケメン”などの噂話はよく聞こえた。
喫煙所と居酒屋は情報を集める場所。
タバコ・酒をやめた今つくづくそう思う。

見た目についての噂は聞かなかったが、N君については“覚えがいい”、“頭がいい”、“もう研修は必要ない”なんて意見をよく耳にしていた。
「どんな子だろう…」と気になっていると、たまたま帰りのエレベーターで一緒になった。
ビルを出ると同じ方向に歩き始めたので、どの辺に住んでいるのか尋ねてみた。
すると、同じくJR線を利用しているとのことだった。
彼が学生であることは知っていたので、自己紹介の後に訊いてみた。
「大学どこ?」
すると彼は
「大学は…、実はですね…」
と少し間を置きこう言った。
「東大なんですよ」
自分と同じバイト先に東大生がいるなんて思いもせず
「えっ!!?マジで!?」
と体をのけぞらせ大袈裟に驚いた。
そんなリアクションには慣れているのか、彼は少しだけ口元を動かして笑った。

家に帰り、用意されている夕食を食べながら考えた。
「どうしてあんなに驚いたんだ…?」と。
東大生だから。東大はスゴイから。身近に東大生なんていなかったから。
どれも間違ってはいない。
でも、たぶん一番圧倒されたのはそこに至るまでを想像したからだ。
「東大に入るまでに、どれだけの時間机に向かい努力と我慢を続け、失敗と工夫を繰り返してきたのか…」
何も頑張れないまま大学6年生になってしまったのに、一丁前に感情移入だけはできたようだ…。

帰り道電車に乗っていると、“優良なジム”として有名なフィットネスクラブがある駅を通る。
電車がホームに入っていくと、到着を待っている人たちの列が見えてくる。
するとたまに、タンクトップを着た“デカい”人が乗ってくることがある。
たぶんジム帰りだろう。
別に見せつけるような様子もなく、彼は音楽か何かを聴きながら、静かに暗い外に目をやっている。
そしてまた、昔と変わらず単純に想像し勝手に熱くなっている。
「あれほどの体になるまでに、どれほどの努力と我慢を…」

一見かけ離れて見える頭脳と肉体。
でも、簡単に辿り着けないという点ではそれほど遠くないのかもしれない。
もっとも、薄着をするかのように頭の中をさらけ出して歩くことはできないが。

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