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私-仕事=何が残る?

 私は今の会社に就職してから、兎に角早く一人前になりたいという思いだけで、最初はそれこそプライベートを犠牲にして我武者羅に働いてきました。というのも、私の家は特に裕福な家庭でもなかったので、学生時代(成績が良くなかった事もあり利子の有る)奨学金を受給してもらっていたので、卒業と同時に結構な額の返済金があったため、まずはその借金をゼロにすることを最初の目標にしてました。
なので、一緒に入社した同期が、合コンや遊びに繰り出す中、実際には仕事は無くても、誘いを断るための言葉にして、つい仕事を優先する自分がいつの間にか確立し、いつも塩対応な私には、いつしか同期会などの誘いもなくなっていました。ただ配属された職場でやはり人間関係の構築は大事なことということは理解していたので、配属先が企画してくれた飲み会(新入社員の役得で大体は職場上司の奢りの付き合い)には参加はしていました。
 私は自己紹介でも書いてますが、物流業界で働いてます。最初に配属された神奈川県の湘南エリアにある職場は、工業団地内の現場倉庫ということもあり、俗にいうエッシェンシャルワークです。事務所では現場の作業員さん達や受付に来るドライバーさん達へ愛想良く対応しつつ、時々やってくる会社の偉い人やお客様へお茶出しなどそれこそ、皆さんがイメージする現場事務員のすべてをやっていましたね。
 パソコン操作は大学で習った文書作成ソフトよりも、表計算ソフトやパワポ、後は会社が導入しているシステム操作など、覚えることは山とあり、先輩社員の皆さんもとても忙しく仕事をしているエキスパートの人だらけで最初の頃は息つく暇もないくらいにてんやわんやしていました。
 それから、今の会社は物流に関する社内資格報奨制度があり、特定の資格を取得すると昇進昇格に有利な配点もあるということもモチベーションとなり、学生時代には想像もしなかった物流関連の資格を一生懸命勉強して取りました。因みに旅行はもともとの趣味で、就職先として旅行業界にも興味があったことから国内旅行業務取扱管理者を学生時代に取得してます。
 そんなこんなで入社してから数年で無事奨学金の返済を終えた時、それは突然、本当に突然にとある意識が芽生えました。目標をクリアした達成感より、彩りのない無味乾燥な自分自身に対するプライベートを犠牲にしてきたことに対する後悔の念が心に沸き起こったことは今でも鮮明に覚えてます。
 というのも、その頃になると同期の皆は大体が彼氏彼女持ちだったり、または親しい趣味仲間がいて、中には早々に結婚までした子もおり、実家に帰省すれば親からはチクチクとそうした話を振られ、また地元の友達もそうした恋バナがやはり話題の一番の中、私だけが蚊帳の外という疎外感を感じたことも原因だったと思います。

『私から仕事を除いたら、何が残る?』
その時の私の脳裏に浮かんだフトした疑問。
もちろん、仕事をすることでできた新しい人間関係はあるけれど、それでも何か根本的な私自身の土台の構築ができてないという焦り。
これは、おそらく長く会社勤めをしてきた諸先輩の皆さんも少なからず感じたことはあるのではないでしょうか?
生きていく糧を得るためにお金が必要だし、そのお金を得るための仕事は何よりも大事なことはわかってます。
仕事に忙殺されて、仕事が忙しいことを理由にして、自分自身のたった一度しかない人生を仕事だけに染めてしまうことは果たして正解なのでしょうか?もちろん会社を創業したような人は仕事=人生をかける全てであるでしょうし、また大なり小なり会社を経営する人は従業員の皆さんを養っていかなくてはいけないという我々末端が知る由もないくらいのプレッシャーがあるので、そうした人と比べるまでもないことはわかってます。
でも、やはり、彩りのある暮らしや生活をするには趣味だけでなく、一緒に時間を共有できる仲間やパートナーや家族がいる方が、絶対幸せということに、私もその時初めて気付かされました。
もちろん仕事は今も同じ会社で続けてます。ただ、ちょうど職場のジョブローテーションによる異動を転機として、都内の営業事務の職場に配属されたこともあり、そこからの私は、趣味を楽しむことの優先度を上げることにしました。
 少し長くなってしまったので、趣味の話題はまた別の投稿で話します。
この記事を読んでくれた皆さんにもご自身の考える機会となってもらえたら幸甚です。それでは、また。


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