見出し画像

86,400秒の過ごし方

こんばんは、今日は皆さんに優先順位について話したいと思います。
まず、タイトルの86,400秒って?と思われる方がいるかもしれませんね。
この秒数は一日24時間を秒換算したものです。
60秒x60分x24時間=86,400秒
人間に与えられた等しく平等なものって何でしょう?
それは誰もが一日24時間しかない「時間」と生まれたからにはいずれ誰にでもやってくる「死」くらいでしょうか?
そして、病気で眠れない方以外は、通常「睡眠」を必要としますので、大体24時間のうち、1/3から1/4(人によっては1/5以下って方もいるかと思いますが)は、睡眠に充てられていると思います。
そうすると実際には24時間のうち、2/3~3/4しか活動できる時間しかないわけで、仕事や学校、家庭での生活をしていく上で必要な時間を差し引くと、自分自身で使える本当に自由な『時間』は案外すくないと思います。

自由な『時間』といいましたが、私はhour(時間)の意識でなく、second(秒)の意識を持つようにしています。
そうすることで、一日の上限である86,400秒のうち、今まさに過ごしている秒数があとどれだけあるのか?
結構、時の流れはあっという間であることに気付かれるかと思います。

そして次に「優先順位」についてですが、この言葉は優しいの優という漢字が入っていますが、実はとても残酷な言葉であると私は思ってます。
皆さん、よく考えてください。多くの方は、家庭や仕事、または学校などの社会生活で行動を制限されていて、自由気ままに過ごすことを続けることはできないと思います(※パーマネントトラベラーの方は対象外とします)
そんな社会においては
①家族のために家事や介護をする
②お金を稼いで生活するために仕事をする
③勉強やスポーツのために学校へ行く
他にも様々な理由で、ご自身には何らかのしがらみがあると思います。
そのしがらみも結局は優先順位に従っているのです。
エントロピー増大の法則はご存じでしょうか?
物理学の概念ですが、簡単にいうと何も制限がかかっていないとあらゆるものは自由に動き回って、てんでバラバラになっていってしまい、決しても元の状態には戻らないということです。
覆水盆に返らずといった方が分かりやすいでしょうか?
もし、皆さんが上記の物理法則通りに本能の赴くままに生活していたら、そもそも社会というものが成り立ちませんよね?
人が社会性のある生物としていられるのは、優先順位を頭の中で意識的にも無意識にもつけていて、その日その刻を過ごしているからだと思ってます。

最近よく耳にする「タイパ」=タイムパフォーマンスという言葉は、忙しい現代だからこそ出てきた時間を有効に使おうとする意識の表れなのかもしれませんね。

今、こうしてこの記事を読んでいただいてる方は、他のことよりもこの記事を読むことを「優先」してくれているのです。
ありがとうございます(謝)

よく宣伝文句で「映画見放題、音楽聞き放題、見たい番組が全部ここにある!」とかいう定額制のサービスがあるとします。それは確かに選び放題という満足感は得られるかもしれませんが、一つの番組をチョイスすれば同時に他のチャンネルは見れない訳でして、一つの行動の選択は、他の行動に優先した結果であるということです。さらに言えば、その豊富なメニューを選んでいる時間もまたその人にとっての時間を消費していることになります。
あと、会社メールでなんでもかんでもcc:に入れてくる人っていますよね?
ご本人は気付かれてないと思いますが、そのcc:メールを取捨選択して消すだけでも受け取った側の人の大切な時間を消費されているということです。
つまり、何が言いたいのかというと、どんな人でも、86,400秒以上の時間は無いわけです。ですので、皆さん自身貴重なその秒数を有効に使われることを意識すれば、明日からはまた違った生活になるのではないでしょうか?

皆さんにとって、最上位の優先順位は何でしょうか?

今日は、少し真面目で哲学的なお話になってしまいましたが、皆さんの考える切っ掛けになればと思います。
それでは、また!




ありがとうございます。