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先を見る眼

先を見る眼

2021年春からの新型コロナの感染拡大でテレビのワイドショーはそれぞれに専門家という先生たちを呼んで、様々な論調を巡らせてきた。
中でもテレビ朝日のモーニングショーによく出演していた岡田先生は、他の番組との論調が違ったのか、「大袈裟すぎ」「いたずらに怖がらせる」などと叩かれ、「コロナの女王」などという迷惑な称号までもらっていたらしい。

岡田先生は
「無症状でもPCR検査をどんどん拡充し幅広く誰でも検査できるようにすべきだ」
「体育館でも良いので臨時の大規模なコロナ専用病院を作るべきだ」
こんなことを言い続けていた。

その頃、政府のお抱えには尾身先生がいた。
「無症状者までのPCR検査拡大は費用対効果でも意味がない」
「濃厚接触者を全て追っていけば感染は抑えられる」
細かな言葉は違うかも知れないがが、概ねこんな感じだった。

ここでハッキリわかることは「最悪のことを想定して対策する」のと「目先のことを解決する」ことの違い。
岡田先生案はお金がかかる。
尾身先生案は安上がり。

答え合わせをする責任

結局、400億円かけてアベノマスクを政府は配った。
この400億円があれば臨時病院やPCR検査の機械をどれだけ揃えられただろう。
医療資源の集中という今更の課題も、1年前ならかなり容易に臨時病院に集中できただろう。

答案用紙

先ほどのアチコチから相当のバッシングを受けていた岡田先生は間違っていただろうか。
尾身先生は誤魔化してはいなかったろうが、今も自分の間違いは認めていないように見える。
認めないままに、検査は増やしたほうが良いというようなこと言い、パラリンピックで来日したバッハさんを猛烈に批判した。
残念ながらその言葉は私には響かないし、責任逃れにしか見えないのだ。
たぶん尾身先生はお気の毒に、忙しくて自分の答え合わせをする時間がないのだろう。

元々が日本という国の政治は20年後などを想定したり、あるいは目標としたりの具体策などは大切にしてこなかった。結局、緊急時の1ヶ月先の最悪の状態さえ考えることもできななかった。
国や自治体が考える「緊急」と私たち国民が理解している「緊急」は全く別物だとすると合点がいく。

私たちは自分で20年後に備えるために、国や自治体にその判断を託すことになる。
それは私たちが選挙で選んだ議員や自治体の長であるはずなのだ。
それを蔑ろにして選挙にも行かず、誰かが選んだ結果だけに委ねていたとすると、それこそが自分の責任だという自覚を私たちは持とう。

「先を見る眼」は簡単には身につかない。
しかし、いつでも答え合わせをすることはできる。
「間違っていました」と認めない人は今後も変わらない。
そして、答え合わせをするのは自分の責任だ。
自分たちが間違っていたら、次は改めれば良い。
これを決して忘れないことだ、と私は今思う。

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