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女性性の否定から肯定へ~子宮との繋がり。

小学生時代の同級生の女の娘に『M子』と言う女子がいた。

小学生時代はとにかくおっちょこちょいで、お茶目な人だったが、

2010年ぐらいにSNSで再会して会話をしていくうちに、

『どうやら、鉄の様な女性に育った様だ…』と、気付いた。

(しかし、人は見た目に表れる印象ではなく、その根底にあるその人

”のみ”で見るべきである。と私は決めている)

そこにあったのは、「自己否定」からの、「自己否定への更なる否定」

と言う、複雑なミルフィーユ状の心理構造(と私は判定)だった。

とても劣等感が強く出てしまう心理的複雑性と、それらによる葛藤がある

と、伝えてくれた。

しかし、時間の経過と共に、、、

「力が及ばない事に対する-負の修行-」と言う側面が見え隠れする様になる。

「発言がエクストリーム化する」につれ、、、

私が気付いたのは、

「これはある意味-精神病質-と言ってもいいのではないか???」

と言う事だった。

感情の不安定さに対する応答として、「情緒の不安定さを招く外的要因」に働きか

ける事に深い意味はない。と言える。

何故ならば、「相手の中にある『自らの不安定さを同調させるほどの強力な不安定

性』は、そう簡単に抗えるほど生易しい惰性性ではない」からだ。と言える訳だ。

この人は、のべつまくなしに、人の中の不安定性を見出そうとし、コントロールで

きず、悔しくなり、感情的になり、それでもダメなので、冷たく突き放す。。。

と言うことを繰り返しており、それに同調できる人のみと付き合っている様だ。と

、気づく結果となった。

ここで言う-精神病質-とは、いわゆる

『パラノイア(妄執傾向)』といわれる状態だ。

これは何か?と言うと、、、

目の前にいる相手。とか、

その相手がもたらす嫌悪感。とか、

その相手が思い出させる誰か他人。とかではなく、、、

『その相手が思い出させる-究極に屈辱な自分-』

これのみに、尽きるのである。

従って、彼女に伝えるべきだったのは、

「(境界線を侵犯しないレベルの)自己肯定感の増強-エンパワメント-」と、

『未だかつて・体験したことのない様な応援(の質)』である。

と言える訳である。


今回は、そんな「女性性の否定」にまつわる、ショートメッセージをお送りしたい

と思います。


何かにお役立てください(^^)。


----『自己否定(からの)自己否定の否定』

ここには、『声にならない声』の地中への埋没が起きる。

そこには、血を地中へと埋めた後の「雰囲気」が残る。

その事を、「(子宮のコントロールを忘れた際の)経血」の『氣』と名付けるもの

である。

〜ここで、「経血」や「子宮」と言う話をしたのは、殊更、ナイーヴな側面にフォ

ーカスしているが、”そこ”が焦点の当てどころではないのである。

何より大切なのは、「性的肯定と受容」とは、

同期して「性器官や-それにまつわる性ホルモン」との関係性が非常に強い。

性ホルモンが高い値で出ているとしても、「女性性・男性性」への礼賛が薄ければ

薄いほど、その矛盾により、性的放縦や、食欲やワーカホリック、ゲーム中毒な

ど、全く違ったアウトプットへと走りやすいものであ。

従って、「性器官」と、「性ホルモン」-そして紐づいて、

「性性」への喜び=つまり、「女でよかった!」「男でよかった!」と、

心底思える状態を、オリジナルに、特性に沿いながら、醸成する必要がある。

と言う事でもある。

(セクシャル・マイノリティでもない限り、性性から逸脱しているのは、

遺伝レベルの他にも、恐らく、バイアスや思い込みの複雑性が根深く絡んでいるも

の。と思われる。)


従って、今回のハウツー知識は、

子宮の統御という意味合いでの、お役立ち知識へと繋げたいものである。


【子宮の統制の際の留意点】

・(女性)性の礼賛→青春時の様な可憐さ・無邪気さの回顧。と想起。
・子宮のデトックス-エストロゲンにまつわる経口・経皮ドーピングを避ける。
・化学物質の摂取は-アロパシーと同じものとして心得る-『病は氣から』
・経血の排出❌→膣力を高め-経血の流出をセルフ・コントロールする(その為にも、関連する器官のデトックス
=毒物による緊張の緩みが大切)→ナプキンが、常時不要。(社会の金融経済への貢献として購入する意図なら◯)
・『恣意性のない』-「食事と経験の幸福感の礼賛」

以上です-(^^)

是非、素敵な女性として輝けます様に…(^^)。

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