コンプレックス
ユングによれば、コンプレックスは否定的なものだけではないそうです。
前者の「自我によって受け入れがたかった抑圧された経験」は、否定的な内容ですが、後者はそうではありません。「つねに否定的な感じのみをもつことがないように強調したいのが、ユングの狙いであるとみるべきであろう」と河合は書いています。
フロイトは、抑圧されたもの、欲望(特に性的)との関連の深いものを考えていますが、ユングは、それだけではないとしています。
我々は、自我によって、外界を認識し、判断し、対処しています。この自我の動きを阻害するものが、コンプレックスです。
ユングは、もともと「感情によって色づけられた複合体」と呼んでいたそうです。「同一の感情」というのは、過去のトラウマのようなもので、これに紐づけられて、いろんなものの意味が紐づけられてしまいます。死に遭遇した後に、死への悲しみが、白を死装束、黒を喪服と連想させる、といった具合です。これは、本人の無意識に引き起こされています。この、連想される内容の集まりをコンプレックスと言うのです(この説明で合ってるか、少し自信がない)。
本来、自我が外的な刺激に対して心的内容を形成しますが、コンプレックスは、この認識において、自我の外から阻害することになる。なので、コンプレックスによって起こった障害は、本人にとっても思いがけない行動になることがあります。
私の理解では、こういうことでしたが、なお、デジタル大辞泉では、次の意味が出てきます。
1番がユングの言うコンプレックスでしょう。ただ、日常、一般的に使われているのは、2番、劣等感という意味でしょう。1番のひとつの類型として存在するようです。
まあ、日常用語と専門用語の乖離ですね。
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