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沖縄と甲子園の話。

3月11日、今年の春のセンバツ高校野球が中止となる事が発表されましたね。こんなところにも新型コロナウイルスの影響が……。
出場が決まって練習に励んでいた球児達、応援を楽しみにしていた吹奏楽部や応援団の皆さん、関係者の方々の事を考えると胸が痛みます。感染症予防が目的ですし誰も責められないのですよね。

沖縄代表はセンバツで3回優勝(沖縄尚学が2回、興南は春夏連覇)しているのですが、センバツだけでなく高校野球そのものが沖縄戦後の歴史に大きく関わっています。
沖縄にとって、高校野球は夢であり誇りでもありました。

勝てなかった沖縄

沖縄代表が高校野球の全国大会に参加出来るようになったのは、戦後しばらくしてからの米軍統治下時代でした。
しかし、貧しく食べ物もろくにない幼少期を生きてきたウチナーの高校生達はヤマトゥの同年代と比べて体格も小さく、技術も劣っていました。初出場の首里高校ナインはボロボロに敗け、「ヤマトゥには敵わない」というイメージを植え付けてしまいました。

高齢の方には今でもその印象が残っており、近年の沖縄球児達の活躍を信じられないと思っているようです。
私の父も「沖縄は弱い、勝てるわけない」「どうせ大事なところで負ける」と言いながら甲子園を見ていました。初めて沖縄尚学が全国制覇を果たした時、嬉しくて大騒ぎしている私達きょうだいと母の傍らで呆然としていた姿を思い出します。

その後、興南高校の活躍による「興南旋風」があったものの一時的な事で、やはり勝てない時期は長く続きました。
ちなみに興南高校野球部の監督であり興南学園の理事長である我喜屋優氏は、興南旋風の時のメンバーだそうです。

栽監督が沖縄を変えた

沖縄が「祖国復帰」を果たした後、突然の「豊見城旋風」が巻き起こります。豊見城高校の活躍には監督である栽弘義氏の力が大きく関わっていました。
ここから、ウチナーとヤマトゥ双方の沖縄代表を見る目が変わって来たのです。

厳しい指導で有名だった栽監督ですが、それで沖縄の生徒達の能力が開花しました。
そして栽監督は、1990年、1991年と沖縄水産高校を夏の甲子園で2度の準優勝に導きました。この快挙に沖縄は歓喜すると共に、沖縄もやれば出来る、ヤマトゥと対等に闘えるのだと言う想いを強くしたのです。

沖尚の2度のセンバツ制覇

8年後、その時はやって来ました。
1999年春のセンバツ、エースピッチャー比嘉公也投手率いる沖縄尚学高校が、ついに全国優勝を果たしました。
私もそうでしたが、テレビ観戦していたウチナーンチュも多かった事でしょう。ある人は家で、ある人はショッピングセンターなどに置かれたテレビの前で、ある人は電器屋さんに並ぶテレビで(沖縄では良くある光景なんですよこれが……店員さんまで見てるし)。

沖尚ナインのメンバー達は、それぞれの道へ進みました。プロになった方もいますし、進学した方もいます。
そしてその9年後、再び紫紺の優勝旗は海を渡ります。

2008年、現在福岡ソフトバンクホークスで活躍している東浜巨(なお)投手を擁する沖縄尚学は、2度目の春のセンバツ優勝を果たしました。
そして、監督はあの比嘉公也さん。母校に戻って来た彼は、26歳の若さで今度は監督としてセンバツを制覇したのです。まるでスポーツ漫画のような話ですが事実は創作より奇なり。

東浜投手は、今年の開幕投手に指名されました。プロ野球もいつ始まるかわからない状態ではありますが、ぜひ勝利をもぎ取って欲しいものです。
そして、東浜投手と高校大学でバッテリーを組んだ嶺井博希捕手は現在横浜DeNAベイスターズに所属しています。
日本シリーズでの元バッテリー対決にはチムドンドン(胸がどきどき)しました!

「沖縄県民全てで掴んだ優勝」

2010年、今度は興南高校が春夏連覇を果たします。夏の優勝は初めてだと言う事もあり、本当に盛り上がりました。
某ショッピングセンターの電器屋さんが広場に大型テレビを置いていたそうなのですが、そこが満員寿司詰めになり挙げ句の果てに2階から見ようとする方々も(吹き抜けなのです)……との写真がTwitterで回って来た時はさすがに仰天しましたが。

実はこの年、沖縄代表応援歌の定番である『ハイサイおじさん』が高校生には相応しくない(酒飲みのおじさんが出てくるため)と言う投書があり、興南野球部OBが自粛を要請していたのです。
沖縄代表の応援は、兵庫県に住むウチナーンチュの教諭が尼崎の高校の吹奏楽部を率いて行なっています。急遽他の曲もレパートリーに加え、応援団の甲子園も始まりました。
しかし、準決勝。興南が5点差をひっくり返したその時『ハイサイおじさん』が演奏されたのです。
戦争で心身共に傷を負った「おじさん」は、ウチナーンチュの象徴とも言える存在です。明るいメロディーで苦難を吹き飛ばし力を与えて来た曲だからこそ、あの瞬間には最も相応しい曲でした。

優勝旗を授与された時、興南の主将はこのように述べました。

「この優勝旗は、沖縄県民全てで勝ち取った優勝旗です」

最初に首里高校が敗けてからどこかで引きずっていた劣等感を、ウチナーはヤマトゥに敗け続けるしかないのかと言う諦めを、ウチナーンチュは高校球児達の活躍と共に払拭して行ったのです。

夏の決勝戦で興南が対戦したのは神奈川代表の東海大相模高校でしたが、実はそちらにもウチナーンチュがいたのです。双子の「大城兄弟」が。
その弟である大城卓三(たくみ)捕手は、現在読売巨人軍に所属し捕手と一塁手の二刀流で頑張っています。また、興南にも大城滉二選手がいましたが、彼も今オリックス・バファローズに所属しています。
(ちなみに2人は兄弟でも親戚でもありません。沖縄で大城と言う名字はベスト3に入る程多いのです)

高校野球が何かを変える事もある

高校野球の全国大会はもちろん球児達にとって大切な大会であり、将来すら決めるものです。
しかし、球児達の活躍が心に響いた観戦者や応援した人々も、変わるのかも知れません。ウチナーンチュが球児達を見て歴史をなぞり、夢を託したように。

この新型コロナウイルス騒動が早く収まり、高校球児達が再び思い切り野球に打ち込めますように。そして、見守る方々も悔いなく応援出来ますように。
今はそれを願います。


※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。

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