中居正広君のジャニーズ退社への想い、の話。
2月21日、元SMAPの中居正広君がジャニーズ事務所を退社して新会社『のんびりな会』を作る事を発表しましたね。
私は元ジャニオタで、特に中居君のファンであったため、この機会なので少しだけ「元担当」について語ってみようと思います。
想いを乗せた歌を歌う人
私にとって思い出深いのは、20年近く前に放送された『LOVE LOVE あいしてる』に中居君が出演した時の事です。
この番組はゲストが自分で選曲した歌を歌うのですが、彼が選んだのはブルーハーツの『チェインギャング』でした。
SMAPの「歌下手キャラ」として笑いを取っていた中居君。しかし、本気で歌った『チェインギャング』は胸に迫る切ない歌でした。
生きているっていうことは
かっこ悪いかもしれない
死んでしまうということは
とってもみじめなものだろう
だから親愛なる人よ
その間にほんの少し
人を愛するってことを
しっかりとつかまえるんだ
ひとりぼっちが怖いから
半端に成長してきた
ひとりぼっちが怖いから
半端に成長してきた
そこにいたのは、バラエティで戯けたり自虐ギャグを言ったりする「SMAPの中居君」ではありませんでした。
紛れもなく「歌手・中居正広」でした。
歌は上手い下手ではないんだと、どれだけ歌詞に込められた想いを伝えられるかなのだと、それを中居君は数分の歌で教えてくれました。
この日から、『チェインギャング』は中居君のテーマソングではないかと私は思っています。後にブルーハーツのベストアルバムで原曲を聞いたのですが、何か違うんだよなあ、と……(ブルーハーツのファンの皆様ごめんなさい)。
最初で最後のSMAPコンサート
2005年、私は福岡ドームで行われたSMAPのコンサートに行きました。結果的にそれが最初で最後になってしまったわけですが。
コンサートでは各メンバーのソロコーナーがあり、それぞれが趣向を凝らしているのですが、中居君のコーナーは歌あり踊りありコントありの一大エンターテイメントでした。
その年は、ドラマ『砂の器』に出演した後だった事もありラストシーンを再現するような演出から始まりました。ピアニカで弾く『宿命』のメロディー。
自ら作詞作曲をするようになってから、中居君の元々持っていたプロデューサー気質は全開になっていたような気がします。事前収録の映像と目の前の本人とのコラボも面白かったですし、この年のソロ曲『ブリブリマン』は完全に笑いへ振り切っていました。
野球の好きな「素人」として
また、中居君は野球に関する仕事も多かったしこれからも仕事を通して関わって行くのだと思います。
元野球少年だった中居君ですが、故障をきっかけに辞めざるを得ませんでした。それでも野球が好きで好きで、ついにはアイドルながら日本代表の公認サポーターに就任する程になったのです。
チームや選手の情報などを細かくチェックし、試合を観る際は野手のフォーメーションまで分析しつつも、中居君は「自分は素人」と言う態度と選手への敬意を貫いていました。
先日、野村克也さんが亡くなった時も「教え子達に囲まれた方がノムさんも喜ぶから」と追悼コメントの依頼を辞退していたそうです。
日本代表の試合では「グラウンドレベル中居」として落ち着いた声で状況を届け、オールスターの選手インタビューでは楽しげにはしゃぎ、ペナントレースのゲストで呼ばれた時はお喋りをしつつも解説者に話を振ったり。
リポーター、インタビュアー、司会者(?)として中居君は野球を楽しんでいます。そして、これからも楽しんで欲しいと思うのです。
今後は「中居正広」として
これからはジャニーズ事務所と言う大手プロダクションの後ろ盾も無く、1人のタレント・中居正広として活動して行く事になった中居君。
きっと活動の範囲も広がって行く事でしょう。
SMAPの歌を歌わなくても良い。
アイドルとしての暗黙の了解を守らなくても良い。
誰かの真似をしなくても良い。
中居君は中居君らしく、今までのキャリアや好きな事を活かして仕事をして行って欲しいと願うのみです。
※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。
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