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小説/伝説を壊すために【7】

「あの、森崎さん。先程の話の続きを、聴かせて頂けませんか」
 ぎゅ、とマグカップを両手で握り、芳は言う。遥華が先程話し出しかけた、レッドウイングへの恨みごとだ。
 遥華はわかりやすく動揺を見せる。本来ならば話したくはないのだろうが、瞭達はそれが知りたくて彼女を追ったのだ。仕方がない。
「駄目……でしょうか」
 自らの弱みを語った芳に言われると、無碍(むげ)には出来ないらしい。作戦でも何でもないが、情に訴えてしまっている。
「お疲れなら、後ででも……」
「いや、今話そう。お前の過去を聴かされたお返しだ」
 くすりと笑う遥華の表情は、柔らかかった。
「お前の『カオル』は、何と書く」
「芳しい、と言う字です。草冠に方角の方。花芳る春の頃に産まれたのだろうと、養父がつけました。正確な誕生日はわかりませんが」
「そうか……良い名前だな」
「あの、本当に御無理なさらなくて良いんです。僕達は確かに森崎さんの動機が知りたかったのですが、怪我人に無理矢理と言うのは望んでいません」
「私は平気だ。そんなに気を使うな……話せると言っただろう」
 遥華は大きな溜め息を吐く。そして、半生を振り返り始めた。

 森崎遥華の母親は自衛官だった。ただし、訓練に参加する事なく単調な事務仕事ばかりさせられていた。
 彼女が『未婚の母』だったからだ。
 男社会、軍人社会、閉鎖的社会の三拍子揃った自衛隊と言う組織。基地内に保育園など無かったため一緒に出勤していた遥華は、母に嫌味や卑猥な言葉を投げ掛ける男達の姿を憶えている。
 時には幼い遥華にまで性的な『悪戯』をしようとする者もいて、それを知った母は謝りながら泣いた。
 そんな中、いつの間にか母は妊娠していた。大きくなって行く腹を抱えながら、いつも通りに仕事をしていた。
──遥華は、お姉さんになるのよ。
──弟? 妹? 私、弟が良い!
──どちらかは、産まれてみないとわからないの。その方が楽しみでしょう?
 母娘が穏やかにその日を待っていたのとは対照的に、周りの空気はひりひりと張り詰め始めた。明らかに2人を避け、遠ざけていた。
 ある時、1人の男がすれ違い様に言った。
──お前の母ちゃんが妊娠してんの、化けモンなんだぜ。
 けらけら嘲笑(わら)いながら去って行く後ろ姿は、酷く醜かった。もちろん、母には言えなかった。

 赤ん坊のための買い物にと、母と共に基地を出たのはとある寒い日だった。
 母は、目的地として自衛隊側に申告した場所に着いてもバスを降りようとしなかった。真剣な表情をして、前を見ていた。
──お母さん? どうしたの?
──大丈夫よ、遥華。自衛隊の病院よりももっと良いところで、赤ちゃんを産むの。
 それは母にとって決死の逃亡だったと知ったのは、大人になってからだ。長い時間バスに乗り、電車に乗り換え、遥華の知らない都会にある産婦人科病院へと飛び込んだ。訳有りの妊婦は多いらしく、医者は何も事情を訊かなかった。
──ねえ遥華。この子の名前、カオルって言うのはどう? 男の子でも女の子でも、素敵でしょう?
──うん、素敵。ハルカとしり取りになるね……。早く産まれて来ないかな、カオル。
 春の気配が近付いて来た頃、遥華の弟──カオルは産まれた。母に似て愛らしい顔立ちをした赤ん坊だった。
 出生届すら出せなかったが、確かにカオルは遥華の弟であり母の息子だった。
 だが、カオルが1歳半を迎える頃、街にレッドウイングが現れたのだ。恐竜のような妖魔は都合良く遥華達の居る住宅街で暴れ始め、レッドウイングはそれを追うようにやって来た。
──お母さん、お姉ちゃん、怖い!
──カオル、お姉ちゃんが守るから! お母さんと隠れてて!
 レッドウイングが『英雄』である事は、遥華も知っていた。だが何故こんなにも弱いのだろうと思った。
 妖魔に振り回されて刀を逸らし、アパートを壊す。入れた蹴りも外して倒れ込む。
 そして──突っ込んで来た妖魔に再び刀を向けた時、その先には母と弟がいた。吹き出した血に何処からか悲鳴が上がり、遥華の意識は遠のいて行った。

「……何て事……」
 ひかりは涙を浮かべていた。
 瞭が確かに聞いた、白虎の妖魔の『ヤオチョウ』と言う言葉が甦る。
「お母さんと、弟さんは」
「自衛隊に、死んだのだろうと告げられた。実際、母の遺体はそいつらが回収したらしい……。私はその後、退役自衛官の運営する施設に入れられた」
 忘れろ。お前の家族、お前の見たもの、全てを忘れろ。そうしないと生きられないぞ。呪文のように聞かされた言葉は、遥華の性格を歪めた。復讐の意志を強固にさせたのだ。
「それで、自衛官に?」
「ああ、そうだ。私の知らなかった真実を、知るために」
 芳がカップの半分程残していたココアは、湯気を失いすっかり冷めていた。
「……お前の名前がカオルだと聞いて、正直なところ驚いた。弟が生きていれば同じ年頃だ。レッドウイングさえいなければ……お前のように……」
 それまで淡々と話をしていた遥華の片目から、一筋の滴が流れ落ちた。芳も一滴の涙を零す。
 きょうだいであれば良かったのに。
 求め続けた記憶と血縁を見つけられれば、互いに変われただろうに。


【CONTINUES】

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