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用法、用量を守ってご利用ください(被害者仕草の社会運動について・2)

 当世の社会運動では被害者ポジションの奪い合いがトレンドですが、思うに、被害者仕草というのは実はとても扱いが難しいものではないかと。
 それについて書いてみます。

 まず、一つ目。
 「一切の瑕疵が無い被害者」なんてものはそう存在しない。
 それこそ不慮の事故で家族を亡くしたとかそんなのくらいでしょう。

 いわゆるなろう小説の追放ざまぁのような創作でも、「完全に瑕疵が無い被害者」を描くのは結構大変です。
 いわんや現実をや。

 なので「被害者仕草」をやり過ぎると、
 

お前にだって落度があるだろ!被害者ぶってんじゃねぇよ!


 と突っ込まれやすいわけです。
 程々にしなくてはいけない。

 二つ目。
 使っている人にそういう意識があるかどうかはしりませんが、被害者ぶる言動は、相手方を加害者と位置付けて批判を浴びせる文脈です。
 もう少し言うなら、
 

自分達は被害者なんだから同調しない奴は差別主義者等であるというレッテルを張る文脈。


 この文脈は極めて攻撃的であり、反感を買いやすい。
 なので、この意味でも程々にしておかないといけない。

 それに、そもそも「被害者」が被害の救済を要求できるのは「加害者」に対してだけです。

 よくフェミニストが、「男性は性犯罪の被害者(女性)に対して責任がある」など言って、男性は性犯罪者を減らせとか言ってるのがSNSで観測されます。

 しかし、被害者には同情しますが、男性全体を加害者に位置付けるのは無理筋です。
 男性の殆どは性犯罪者ではありませんし加害者でもない。

 例えばどこぞの詐欺師のように、女性が性的魅力で男性に詐欺を働いたとしても、その責任を女性全体に負わせるのは無理筋です。
 同じように、社会全体を加害者と見做して「被害者」救済を求めるのは無理筋なのです。

 こんな感じで、被害者仕草は社会運動では大流行の方法メソッドですが、実は極めて取り扱い注意の手法なんですよ。

 それを踏まえてこれ。

 (https://twitter.com/shinichiikeo/status/1787612452705980674より引用)

 不当に高い負担を課された、冷たい日本社会に虐げられる被害者という風に描いてますけど。

 

オーバーステイで無保険。


 これを瑕疵の無いかわいそうな被害者とするのは、どう考えても無理があるでしょうよ。

 被害者仕草の文脈についてもう少し考えます。

 上の二つを踏まえて次の問題は、これが使われ過ぎていることです。
 ただでさえ上で書いた通り攻撃的で取扱注意の文脈なのに、猫も杓子も被害者ポジの奪い合いが続いていて、辟易されている。



https://twitter.com/shinichiikeo/status/1787725440322605398より引用)

 このtweetに浴びせられた批判は、被害者仕草の文脈が辟易されてるのを示していると思うんですよね。

 前にも書きましたが、被害者仕草の文脈には重大な脆弱性があります。 
 「加害者」を設定して、加害性を押し付けて被害の救済や譲歩を迫る文脈は、

 「加害者」が「被害者」を同情の対象とするからこそ効果がある。



 なので、「加害者」とされた側が

 

お前の被害なんて知るかそんなもん、と言って譲歩を拒絶したらこの文脈は一瞬にして効果を失う


 んですよ。
 ただでさえ反感を買い易い攻撃的な文脈なんだから、使い過ぎには注意しなくてはいけない。

 この文脈が辟易されて「被害者」という属性そのものの嫌悪に変わったら、本当に救済されるべき被害者まで同じ「被害者」の括りにぶち込まれるため、取り返しがつかないことになると思います。
 上のtweetへの猛批判を見る限り、すでに危険水域だと思うんですけど。

 

 あと、上の記事もそうなんですけど。
 この手の被害者文脈を書き立てるマスコミはマジで止めた方がいいと思います。

 というのは、この手の文の反感は勿論書き手にも来ますが、同時に

「被害者」役の属性……この場合は某国人にも向く


 んですよ。
 なので、庇っているつもりがその属性や集団への反感を掻き立てるだけになりかねない。
 何度も書きますけど、この文脈はあらゆる意味において取扱注意であり、用法に注意しないと本当に逆効果です。

 それに、この手の被害者文脈を拡散する人、意識高い有識者のセンセイ方やマスコミ関係者たちって

 自分達は絶対にリスクを負わない

 
 んですよね。

 あくまで口を動かすだけ。
 この場合だったら、その国の人のために自分達で医療費を立て替えたり、医療費を負担するファンドを作るとかそう言う行動はとらない。

 社会の一員として社会すべてが「加害者」である、加害性を持つんだから「被害者」を救済すべきという文脈にするなら、自分達も加害者のはずです。
 でも自分たちはその責任を負う気も何かする気もなさそうに見える。

 多分、私たちは誰か……社会とか国とかに何かをしろと主張していることによりその責任を果たしている、という言い分なんでしょうけど。

 反感を買う文章を書き、自分では手を動かさず善人ぶって「加害責任」からは逃れる。
 こんなの二重三重に反感買いますよ。

 こんな奴の言うことをありがたがって聞く人はいません。
 綺麗事を言うけど自分も実際に行動する人なら少しは尊敬されるんでしょうけどね。 

● 

 個人的には社会運動は、被害者仕草をするより

「こんなに苦しいんです、助けてあげてください」


 路線の方がいいと思うんですよね。
 弱さや辛さを率直にアピールする方が共感をひきやすいし、たとえその人に何らかの瑕疵があっても、それを認めて頭を下げている人に追い打ちをかけるのは誰でも躊躇います。

 J・リベラルのセンセイ方もこの程度を思いつかないほどバカではないはずです。
 でもそれを使わないのは、ある種の属性の人にとって「頭を下げる」というのはストレスらしいので、ストレスフリーで相手を動かしたいんだろうなと思っています。

 とはいえ、今まで散々高慢ちきに振舞ってきたリベラルセンセイが今更同情を買う路線にシフトしても、あまりにも嘘くさすぎて誰も賛同してはくれないかな。

 今更、路線変更してももう遅い(なろう風)


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