#1苗代づくりと、すじ蒔きと苗だし
究極の雪国十日町で7度の冬を越し、8回目の春を迎えた。横浜市から移住して以来、幾度となく「どうして十日町に?」とか「雪は大丈夫か?」とかいう質問を受けてきた。その度に僕は「だってこんなにいいところないじゃないですか!」と答えるしかなかった。だって、ここ十日町市の魅力を簡単に語り尽くすことなんてできないのだから。
ありがたいことにこの度、四季折々の十日町の暮らしを伝える機会をいただいた。これからここで綴っていく写真や文章は、この地の魅力を外へ発信していくだけではなく、「どうして十日町に?」という地元のみなさんの質問に対する僕なりの答えになっていくはずだと思う。
◯苗代づくりと、すじ蒔きと苗だし
遠くの山々や沢筋にまだまだ雪が残る4月中旬、山間の蓬平集落の棚田に大勢の人が集まっていた。長い冬をじっと耐えていた米農家の1年は、田植えの苗を育てる苗代づくりから始まる。
苗代とは田植えで使う稲の苗を育てる場所のことだ。種籾をまいた苗箱を並べられるよう、田の中に四角く溝を切り、泥を均していく作業だ。当たり前のことだけれど、米作りは田植えから始まるわけではない。
まだまだ泥に埋まる長靴をとおして水の冷たさが伝わってくる。雨がふれば身体はふるえ、陽がさせば額に汗が浮かび、晴れの日に風が吹けば思わず畔で伸びをしたくなるような春の慣わしだ。ただ、どんな天気だって人が集まり、言葉を交わせば笑いがこぼれ、お茶の合間にも話に花が咲く。
「おーい、だれか1人、列に入ってくれ」。
芽の出た種籾がぎっしりと蒔かれた苗箱が人の手から人の手へとリレーされてゆく。苗箱を積んだ軽トラから苗代まで人の列は自在に伸縮する。苗代づくりから1週間と間をおいていないにもかかわらず、沢筋の雪は急速に消え、雪に代わって新緑の淡い緑が山々を覆っている。
蓬平集落の生産組合では、約3000枚もの苗箱が人の手を渡って並べられていく。こうして育った苗は約15町(15ha)の田に植えられ、秋になると1050俵(63,000kg)のお米になるという。
苗箱リレーを見ながら、「人手=働き手、他人の手助け」という言葉の語源を思う。とにかく、苗出しには人手がいる。幸いにも蓬平集落では、苗出しに必要な人手がある。こうした共同作業や助け合いは昔から「結い」と呼ばれ、連綿とつづいてきた。
一方で未来に目を向けると、日本の多くの中山間地が抱える高齢化による人口減少や人手不足といった問題に直面せざるを得ないだろう。なにせ51歳の僕が若手と呼ばれるくらいなのだから。
僕はなによりこの苗だし作業が好きだ。蓬平集落のひとりとしてこれからも苗箱を受け取り、手渡す作業をしていきたいと思う(僕は気軽なお手伝いさんの1人にすぎないけれど)。
『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたり−』
世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。