#8 茅葺き屋根の建ものがたり
焼けつくような日差しを浴びながら1人の男性が茅葺き屋根の上にあがり、もくもくと作業していた。今年の夏は盆を過ぎても日差しが和らぐことはなく、立っているだけで足の甲がジリジリとしてくる。男性は細く束ねられた茅(ススキ)を屋根に刺したり、木製の大きな槌でその茅を屋根に叩きこんだり、経年で薄くなり苔の生えた屋根を丁寧に修復していた。
大地の芸術祭の作品でも有名な「うぶすなの家」は、1924年に建てられた越後中門造りで茅葺き屋根が特徴の古民家だ。中越地震を機に空き家となった家は2006年、陶芸家たちの手によって、「かまど」や「風呂」、「洗面台」など、「やきもの」の家として再生された。現在は地元の食材が陶芸家の器に盛られ、作品でありレストランでもあり、泊まることもできる空間となっている。
そんなうぶすなの家の屋根にあがる茅葺き職人は橋本和明さん(28)だ。僕とは移住仲間でもあり、同じころ、十日町市の隣、柏崎市高柳町の茅葺きの里として有名な荻ノ島集落に移り住んだ。移住当初、橋本さんも僕も茅葺きの古民家に住んでいた縁もあり、何度か同じ屋根の上で一緒に茅葺きの仕事をしたことがある。その後、僕は茅葺きの古民家から引っ越し、屋根に上がることはなくなった。橋本さんも茅葺きの家から越してしまったが、親方につき職人として今も屋根にあがっている。
茅葺き屋根の古民家同様、茅葺き職人の数も年々減り、今では十日町市内の多くの茅葺き屋根を守るようになった。2年前には観光スポットとしても有名な松之山の留守原の棚田にある小屋の屋根もほとんど独りで葺き替えた。まだ20代にもかかわらず…。
今から7年半ほど前、僕は十日町市松之山にある一軒の茅葺き屋根の古民家に引っ越した。「自然豊かなところで子育てがしたいね」と妻と話し、妻の出身県である新潟県内に場所を絞って見つけた僕らの新しい居場所だった。
なぜ茅葺きの屋根だったかといえば、僕がカメラマンだったところが大きい。とにかくそのフォトジェニックな佇まいに一目惚れした。今風にいえば、なんと「映える家」なのだろうと。
ただ、茅葺きの家に住もうと決め、屋根のことを学ぶうちに茅葺き本来の魅力に引きこまれていった。十日町市の茅葺き屋根は主にススキを使っている。昔からこの地では、ススキの枯れた11月頭から雪でススキが倒れるまでの短期間に茅刈りをしてきた。雪の降らない地域では冬中ずっと茅刈りができるのだが、ここでは短いと1週間も経たずに雪が降ってしまう。
僕らも早速、移住の半年前から十日町市に通い、茅刈りの手伝いをした。刈られた茅は雪の中で保管され、雪のとけ始めた3月ころ、雪から掘り出して天日で乾燥させた後、家の屋根裏に保管される。こうして貯まった茅を屋根の葺き替えに使うのだ。
すべての家々の屋根が茅葺きだったころ、集落ごとに協力して茅を刈り、傷んだ屋根を順番に葺き替えていったのだという。こうした協力体制は「結い」とよばれ、ここでの暮らしに欠かせないものだった。人々の手によって刈られた自然素材のススキがそのまま屋根になる。葺き替え時、傷んだ茅は絶好の肥やしになると、奪い合うように畑に撒かれた。確かに傷み始めた屋根にはよく草が生えている。ゴミの出ない、地球にやさしい資源の循環がそこにある。素晴らしいのは見た目だけじゃない!と心躍ったことを今でも思い出す。
残念ながらこうした茅葺きにおける「結い」の習慣は、茅葺きから近代的な屋根へと葺き替わるにつれ失われていった。僕が今住んでいる家も明治元年築の茅葺きの家だったが昭和55年にトタンの屋根に葺き替えられた。家を購入するにあたり昔の写真を見せてもらったのだが、集落には当時、たくさんの茅葺きの家が残っていた(今は一軒も残ってないけれど)。
こうして僕らはまだ周囲に雪の残る2016年4月に松之山にやって来た。雪がとけ出したころ、屋根から落ちた雪と一緒にかなりの量の茅も一緒に抜け落ちたことがあった。屋根に穴が開けば、その都度屋根に上って刈って乾燥させた茅を束にして屋根に刺して補修しなくてはならない。そんな茅葺きの技術も一緒に学んだ。
実際に茅葺きに住んでみると、茅葺き屋根を維持することは想像より遥かに重労働だった。雪から茅を掘りだして、乾かして、修繕して…。移住と共に米づくりも学び始めた僕は、田植えの前にすでにぐったりと疲れていた。やりたい事以前にやらなければならない事に追われていた。
さらに家は大風が吹くと天井から真っ黒な煤が降ってきたり、吹雪けば屋根の傷んだ箇所から雪が吹きこみ、室内にうっすら雪が積もったりした。とにかく掃除が大変なのだ。
十日町市内でも最も雪の積もるといわれている松之山の最深部でふた冬を過ごした後、僕らは家族会議を開いた。この地でやりたい事、やらなくてはならない事をリストにして、自分達にとって何が大切で、何をやりたいのかを話し合った。そして、茅葺き屋根の維持にかなりの労力を奪われて疲れ切っている自分たちに気づいた。「この家はお返しして新たに家を借りよう」という結論になった。
ただ茅葺きの家での暮らしをふり返ってみると、囲炉裏で揺らめく火を囲んだ夜、夏でも涼しい屋内で昼寝をしながら眺めた天井の曲がりくねった杉材など、記憶に残るのはどれも美しい瞬間ばかりだ。たとえ記憶に残っていなくても、息子がひと冬だけでもあの家で冬を越せた経験はきっと身体のどこかで生きているに違いない。
僕らは茅葺き屋根の古民家暮らしを志半ばで諦めてしまったが、十日町市内にはまだまだ茅葺きの古民家が残っている。そんな茅葺き屋根を守る職人としてこの地で生きることを決めた橋本さんは言う。
「里山の循環を生み出せるのが茅葺きの魅力だと考えています」。
季節は巡り、人や茅、全ての命が巡る。
『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。
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