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#4十日町高校野球部

「県立十日町高校に夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)出場経験がある」と聞いて心の底からビックリした。移住してきて、十日町市に関することで1番ビックリしたエピソードだったと言っても過言ではない。
 
僕は大学を卒業して新聞社のカメラマンになった。その新聞社が同大会を主催していた関係で何度か甲子園大会を取材した。なかでも、松坂大輔さんがエースだった横浜高校が優勝した1998年の第80回大会は全試合&全球、カメラで白球を追いかけた。
 
そんな取材を通して僕は、甲子園の強豪校や常連校と呼ばれる高校がいかに県外から有望な選手を集めているかを知った。「県立の星」なんて後から讃えることは簡単だけれど、勝利至上主義となってしまった同大会で、甲子園出場の切符を手にすることがいかに難しいかということも痛感していたからだ。

雪がとけ、グラウンドでの練習も再開

しかも十日町市と言えば、全国、いや世界有数の豪雪地帯ではないか。雪がグラウンドを覆う冬季の練習はどうするのだろう?ただでさえ、ハンデが大きすぎるのではないか?
 
興味をそそられた僕は今年3月、22年ぶりの甲子園出場を目指す野球部の練習を見学させてもらった。まだグラウンドの端っこに雪が残る校庭に球児たちが姿を現した。校庭の外周にネットが張られていないため(豪雪地帯では毎冬こうしたネットは外される)、球が遠くへ飛ぶようなバッティング練習はできないが、久々に大地を踏み締める球児の表情は明るく跳ねるようにキャッチボールをしていた。

選手たちは飛び跳ねるようにキャッチボールをしていた

簡単な練習後、球児たちはトンボとよばれる器具を使ってきれいにグラウンドを均し、室内練習場へと移動していった。そんな十日町高校野球部はトンボ軍団の愛称で親しまれてきた。

練習終わりにトンボでグラウンドを均す

昆虫のトンボはどんなに強い風に流されても前に飛びつづけて害虫を食べることから、縁起のよい「勝ち虫」として古くから武将の鎧兜につけられてきたのだそうだ。その「勝ち虫トンボ」と「グラウンドを均すトンボ」をかけて、トンボは同校野球部のシンボルになった。

トンボ軍団の応援団

練習の見学から数ヶ月が経った7月15日、新発田市五十公野公園野球場の3塁側応援席には、トンボがプリントされたシャツを着た応援団の姿があった。野球部を語る時、OBや地域のサポートを語らないわけにはいかない。この春には匿名の同窓生からMax160キロを投げられるピッチングマシーンが贈られたという。

3回戦の新潟青陵戦

第105回全国高校野球選手権新潟大会3回戦の新潟青陵戦に挑んだ野球部は、先制される展開のなか、7回と9回に同点に追いつきながらも延長10回タイブレークの末、惜しくも敗れた。約40人の部員ほぼ全てが十日町市内の中学出身者で構成された「トンボ軍団」のこの夏の挑戦は終わった。

3回戦の新潟青陵戦

試合後、根津勇真主将に豪雪地帯で野球をすることの難しさを聞いてみた。
 
「自分たちは雪がふるからこそ、それをプラスに捉えています。冬の間、外でのボールトレーニングができないなか、屋内トレーニングが中心になりますが、素振りや短い距離でのキャッチボール、ウエイトトレーニングなど、もう一度基本にかえることができます。先輩方もそうやって厳しい冬を乗り越えて春、夏と結果を残してきました」と胸をはる。

3回戦の新潟青陵戦
3回戦の新潟青陵戦

「雪がとけると、やっと土の上で野球ができるというワクワク感があります。だからこそ春になれば、土の上で野球ができることに感謝して思う存分野球をすることができます」。その答えは僕の想像に反して、とてもポジティブなものだった。

3回戦の新潟青陵戦
3回戦の新潟青陵戦

先日、ある人にこんな質問をされた。「十日町のスゴいと思うところはなんですか?」。僕はその時、その問いにうまく答えることができず、しばらくの間そのことについて考えていた。「何か耳触りのよい言葉を返さなくては」と思いつつ、結局、「十日町のスゴいところは『備える力』だ」という何とも地味な答えに辿り着いた。
 
豪雪地帯では冬になれば必ず雪がふる。ここは国内でも地震の多い地域でもある。保存食などの食料を備えたり、薪などで暖をとるための算段をつけたり、ここでの暮らしは何かと忙しい。さらに冬は、除雪といった日々の作業にも備えなくてはならない。備える力とは、自らの現状をしっかりと把握する力であり、未来を想像する力、未来に向けて実行する力でもある。それが僕の答えだった。

3回戦の新潟青陵戦

ああ、やっぱり野球部のみんなもしっかりと春夏に備えて、冬を過ごしているのだな、と根津主将の言葉を聞いて嬉しくなってしまった。
 
十日町高校野球部のことでもうひとつ聞いたエピソードがある。今年開催されたワールドベースボールクラシック(WBC)で大活躍した大谷翔平選手にまつわる話だ。大谷選手は高校卒業時、日本のプロ野球ではなく米・大リーグへの挑戦を表明していた。国内の球団がドラフトでの指名を見送る中、日本ハムファイターズは大谷選手を強行指名した。だが、ドラフト直後、球団関係者は大谷選手に会ってすらもらえなかったという。

頑なだった大谷選手が翻意したきっかけとなったのが、十日町高校野球部OBで日本ハムのスカウトディレクターだった大渕隆氏が作成し、本人に手渡した「大谷翔平君 夢への道しるべ」という26ページに及ぶ資料だった。それは、大谷選手のメジャー志向を否定するのではなく、一緒に夢を叶えるための資料だった。

僕はこの話を聞いてもちろんビックリはしたけれど、同時に妙に納得もしてしまった。現在と未来を繋ぐ道のりに明確なビジョンを抱き、今できることをして未来に備える。これこそが十日町市民の得意とするところではないか。

3年生の抜ける野球部も冬に備えて夏と秋を過ごし、来年の夏の大会に備えて冬と春を過ごしていく。

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。

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