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2022.12.05

『売り方が9割』という言葉は、あまり好きでなくて。

作り手としては、商売なのだから「好きではない」などとは言ってる場合ではなくて。けれども、受け手としては『売り方が9割』の想いで売られた商品は、すこし距離を置きたくなる。ただ、それは『これは売り方に力を入れている商品だから、きっと品質は悪いのだろう』と思うからでなくて、買ってもらうために、こちらの意思を変えてこようとする姿勢を想像してしまうから。もちろん『そんな売り方は悪い売り方だ!』とは思わないし、僕もそんな記事を数件は書いていますし。

けれども、防衛本能的に、そんな記事とは距離を置きたいと思ってしまうわけで。

逆に、誠意ある宣伝文句に対しては、こちらも「意思を変えられてしまう」というよりも「変えてくれるかも」と考えるので、つまるところ、宣伝や集客、マーケティングの肝は、そんなところにあるのだろうなと。

とはいっても、無数に相対する宣伝文句に対しては、やっぱり防御姿勢が基本となってしまうわけで。怒ってる人には媚びてしまうし。どこかで聞いた話だけれども、Webにおけるテキストコンテンツには、宣伝臭を感じ取る人が多いらしく、情報発信の主戦場は、動画や音声に移り、各種Blogやnoteはオワコンなんだとか。

ただ、商売に繋がる情報発信を目的とした視線から見ればオワコンなのかもしれないけど、純粋なテキストコンテンツとしてはこらからなのかなと。ちょっとしたきっかけで毎日更新をはじめた僕だけど、他皆さんのnoteを読んでいると、そんなことも感じたりします。

たしかに、読み手の意思を変えてこようとする姿勢のnoteは、まだまだ多くあるけれど、淡々と書き手の想ったことを綴ったnotoも多いと。それは、商売、非商売問わず。そんな記事は無益かもしれないけど、それが良いし、おもしろい。

考えてもみれば、それは個人の日記みたいなもので、古くから数多の人々が綴ってきた娯楽でありライフスタンスの一部にも成りえてきたもの。商売的な数字に結びつかなくなったとはいえ、それがオワコンになるはずもなく。むしろ、商売目的で使え難くなったテキストコンテンツは、これからが楽しい時代になってゆくのかなと。どうなんだろう。単にマーケティングの上手さで分かりずらくなっただけなのかも。どっちにしろ、コントロールされるなら、前にも後にも、気持ちよくコントロールされたいなと。

そんなことを思う今日この頃です。



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