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日本語指導の思い出⑩

 先日、日本語教育の講座の際に、先生と雑談して、私の日本語指導の経験を話した時、「じゃあ、資格を取ったら、学校でそういう生徒のためにボランティアをされるのですか?」と尋ねられて、反射的に「いいえ、そんな仕事は専任の人がすればいい。ボランティアはしません」と返事しました。

 もちろん、昔、私を助けてくれた日本語指導の先生方のように、非常勤講師として国語の免許を持つ日本語指導者として授業するのも悪くはないと思うのですが。それもしんどいかもしれません。立場的に、もどかしいので。

 専任、つまり府立高校なら教諭であれば、かつての私がそうしたように、支援の必要な生徒にどれくらいの支援が必要かヒアリングや試験をして、人権委員会の担当者と管理職に相談し、非常勤講師を呼んでもらえるように尽力するでしょう。
 そして、講師が決まれば、どの講師が誰の授業に入るか、時間割を見て割り振り、抜き出し授業になるので、場所を確保します。
 そういったコーディネーター的な仕事は、専任や教諭でなければできないのです。
 
 さらに言えば、国語科教諭の自分が日本語指導の授業に入る場合は、国語の非常勤講師を探さなければなりません。当時の教頭にはずいぶんお世話になりました。
 人事権は校長(大阪府の定時制は准校長)にありますが、講師を探してくるのは教頭の仕事なのです。
 教科主任に講師探しの仕事を振る教頭もいますが、国語は持ち回りの教科主任であることが多く、必ずしも人脈を持っているわけではありません。

 強制転勤が始まる前なら、ベテラン教諭はある程度の人脈を持っていたように思うのですが、新任4年転任7年では教え子を中心とした人脈を作る前に転勤するので、無理です。同僚はさらに散り散りで、たまに研修等で会ったりすると「今、どこにいるんですか」とお互い聞くような状況です。付き合いが少なくて楽ですが、よくも悪くも、転がる石は苔むさず、ですね。

 結果、教頭が教育委員会(今は教育庁?)に登録された講師に片っ端から電話をかけて行くことになります。

 定時制で場所が場所(すぐ近くが釜ヶ崎や飛田)だったので、学校としてはとても落ち着いていたのに、教員が定着しなかったり(来て3日で辞めた再任用の機械科の先生がいたり)、私のように親から「そんなところへ行くんだったら学校なんか辞めてしまい❗️」と怒鳴られたりとかするような具合でした。だから、非常勤講師もなかなかうまく来てもらえなくて、なおさら、定数200人で国語科教諭2人なのだから、生徒100人に対する責任があると言われて、12人の日本語指導のために、非常勤講師を伝手をたどってお願いすることになったのでした。

 12人って大した人数じゃない、と思う方は、定時制高校の日本語指導がわかっていません。学年はバラバラ、レベルもバラバラです。時間割から言っても、日本語レベルから言っても、抜き出し授業を同時にすることができません。
 ある一定の人数を超えてから、受け入れ事前相談に同席して、教頭と一緒に他の学校を勧めました。悪いなと思いながら西淀川高校を勧めたり、生徒自宅最寄りの他の定時制高校を勧めたりしました。まあ、定時制で終業時間が夜9時を回るのに、JR環状線を半周回った向こうからくるのもどうかと思いますが。

 この前、文化祭に行ってきましたが、日本語指導の必要な外国人生徒を、あの頃のようには受け入れをしていないようでした。
 コーディネートする教諭や関わる担任、理解ある管理職がいなければ、受け入れはできません。
 転勤した時に、それまでお世話になった日本語指導の非常勤の先生に「この学校での日本語教育は失敗に終わった」と言われて、何のことかわからなかったのですが、確かに今から思えば、単なるテストケースに過ぎなかったのだ、と思います。

  

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