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トップダウンとボトムアップ

 昔、高校生だった頃、修学旅行委員会で面白いことがあった。
 集められて1回目、社会科の丸顔メガネの温厚な男性教員がやってきて、「話し合って、役割分担や委員を決めましょう」と言った。
 自由な校風で有名な高校だったし、委員には大人っぽい人が集まっていたので、和やかに話し合いで委員長や副委員長、その他もろもろが決まった。
 第2回、社会科の先生は来ないで、体育科の男性教員が来た。曰く「◯◯、お前、委員長やれ」「ハイ」「◇◇、お前は副委員長な」「ハイ」という調子で、指名で決められた。どうも社会科教員が第1回で決めたことをまるで知らないようだった。私たちは皆、あっけに取られて、誰も何も言わなかった。指名された者は、体育教師のお気に入りか運動部らしかったので、なおさらだった。
 第3回、集められた修学旅行委員たち(男女各一名 で12クラスあったから全24人)の前で、社会と体育の教員二人が教壇の上で睨み合った。
 結局、教員間で決着がついたらしく、第4回からは、体育教師が仕切った。学年は550名以上いたので、社会など座学では六クラス見れば多い方だから、種目別ローテーション(陸上・バスケ・バレー・テニス・水泳等)で全員の顔を知っている体育科教師が仕切ることになったのだろうと思った。

 自分が教員になって、職員会議を見ていたら、体育会系の教師はトップダウンで進めたがったし、文化系、特に社会科の教師はボトムアップ、じゃなくて対等な話し合いを好んだ。
 もとい、話し合って決めるのが当然だ、と延々議論した。
 でも、一度採決して決まれば、「一事不再議」と言って、全員が決定に従った。

 教員の先輩達は、年代的にはデモシカ先生と呼ばれた人々だったが、中には弁護士になるはずだったのに教育実習が楽しすぎて、そのまま教員になった人もいたし、学歴から言えば企業に勤めた方が、断然給料が良かったはずの人々もいる(公立学校は男女同一賃金なので、女性は高給取りだが男性は一般より安月給だ)と聞いたが、皆生き生きと教員をしていた。

 今は亡きM先生に、何故体育科はトップダウンなのか、尋ねたことがある。

 M先生はサッカーの顧問で、温厚で、紳士だと評判で、府の優秀選手たちを外国へ引率するような先生だった。他のヤンチャな教師さえも「M先生のためならなんでもするよ」と言わせるぐらいの先生だった。

 「なぜかというとね、体育科は命を預かっているから、危険なことがないように、ピシッと命令しなければいけないんですよ」

 砂場にガラス瓶のカケラが埋まっていて、そこに着地した生徒が大怪我をして出血多量で亡くなったことがあったのだと聞いた。「だからね、砂場でもグラウンドでもちゃんと自分で整備するんです」その話はとても辛そうだった。時々、一人で黙々とグラウンド整備をされていたのはそういうことだったのかと思った。

 体育科は体育科の事情がある。

 しかし、「お前らの勝手な判断で、勝手に行動するな❗️」と、生徒たちに頭ごなしに叱って「教師の言うことを聞いてればええんや❗️」という人々には、同僚ながら困ったものだと思っていた。

 文化系の教員は、基本的に、生徒が社会に出た時に、一人前に働けるように、と考えて指導している。
 それはロボットのように言われるがまま動くのではなく、自分で判断し、進む道を選ぶことができるように、と思っている。

 確かに独断で誰にも確認せずに動くのは、迷惑だし、だから打ち合わせや会議をするのだと思っていた。皆、長い会議は嫌いだけれど、ちゃんと問題点を洗い出して、改善をしないといけない、という合意があったと思う。

 それが、どういうわけか、ある時から、「職員会議ではなく、職員連絡会です」と言われ、管理職からの指示を聞く会になってしまった。
 運営委員会で原案を練っているとはいえ、不安だった。というのは、上から降ってきた指令に関しては、管理職は職務命令として、問答無用でそのまま下に下ろしたからだった。

 上の人々は、実態を知らない。それは現場が上の人々の視察には綺麗に整えた資料を見せ、隙を見せないからであり、管理職も自分の非を責められないように保身に走るからでもある。
 評価育成と言って、昔はなかった校長面談が始まってから、校長が意外と校内の動きや人々の仕事を知らないことに驚いたことがたびたびあった。
 校長が知らないんじゃ、教育委員会事務局(今の教育庁)が知っているわけがない。文科省は言うまでもない。

 ちょっと古いけれど、教員は思っていると思う。

「事件は現場で起こっているんだ‼️」

 問題が起こっているときは、ボトムアップが要るのではないだろうか。 




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