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広重「江戸名所百景」の旅(平凡社、別冊太陽)

 この雑誌を買ったのは、東京でだったと思う。深川江戸資料館、だったかもしれないし、東京駅かも知れない。

 ある年末、東京待ち合わせで、ヨーロッパはスペインに行ったのだが、東京からは手配してもらっていたが、東京までは各自ということになり、それならと東京でひとり一日遊ぶことにした。

 父が亡くなった後、戸籍謄本を貰ったり、過去帳を見せてもらったりして、父方の祖父が新大橋の出身で、父方の先祖が八名川町や深川の芭蕉庵の近くに住んでいたことがわかり、一度どんなところか行ってみたかったのだ。

 大名庭園が好きなので、一目散に清澄庭園に行ってしまい、芭蕉記念館に行きそびれた。清澄庭園は、関西にある大名庭園に比べて、ずいぶん大味な回遊式庭園だと思った。石が、岩が馬鹿でかい。池も大きい。大きいことは良いことだ、の世界だった。
 深川江戸資料館にも行った。昼夜に景色がライトで移りかわる川端に夜鳴き蕎麦の屋台があった。町の屋根の上の造り物の猫が入場者が来る度に鳴いていた。町人の長屋の一戸一戸が時代劇ドラマより小さいこと(台所の土間とあと一部屋しかない。1Kで、トイレ・井戸は長屋共有)、他所者の単身者が多かったこと、蕎麦が今のファストフードに当たること、火事の時、蔵の窓をどうするかなど、とても面白かった。

 資料館で、父方の過去帳にあった年代の地図のハンカチを買ったら、遠山金四郎(時代劇の遠山の金さん)の家が書かれていた。周りは大名屋敷、というより、大名屋敷の隙間に横に細長く八名川町などの町人の町があった。過去帳に出てくる町名は全てあった。
 ただ、内田姓が祖父の入婿先のもので、江戸時代の姓はまた別だったので、思わず地図上に探したが、見当たらなかった。内田家は籾蔵の近くで、父や叔母の話では米屋か酒屋かだったらしい。父も叔母も大阪生まれだ。伯母に聞いておけば良かった。伯母は父とは腹違いで大正時代に東京生まれのはずだ。残念ながら、大阪カトリック教会の納骨堂にいる。うちは父方は浄土真宗、母方は真言宗、ところが父は遺言で高野山の墓に入った。両親は戦中・戦後の苦労で「神も仏もあるものか」と言った。子の私としては、神や仏はどうか知らないが、ご縁はあると思う。

 上の絵は、偶然だが「深川万年橋」。ちょうど清澄庭園と芭蕉庵の間にある運河の小名木川にかかる橋だ。「富士眺望の素晴らしさでも知られ」と解説にあった。つまり、画面の川は隅田川だ。

 父方の先祖はこういう景色を見ていたのか、と思ったり、祖父が父を連れて川に魚釣りに行ったのは、こういう所に住んでいたからだったんだな、と思ったりした。祖父は、大阪や堺に来て、隅田川の代わりに大和川を、富士山の代わりに六甲山を見て、何を考えていたんだろう。不思議だ。


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