まほら大和2


わたしも奈良派

薬師寺の興楽門を出て「歴史の道」を歩く🚶

瓦を見ながら。

恵比寿様の飾り瓦
これは貝?

しばらく歩くと右手に蕎麦屋が。
6組の順番待ちの末、席に。
注文したのは「辛味大根そば」。
うちの方では「もぐらそば」と呼ばれている。

辛味大根そば

そば好きだし、大根おろしも好きだし、辛いのも好き。
僕にとっては三拍子揃ったメニューだ♥️

「蕎麦切り よしむら」さん、覚えておこう。

お腹も満たされ唐招提寺に向かって歩きだす。
しばらく歩くと大根、柿などが目に入る。

これら全部が布細工。
お店の中には素敵なグッズがたくさん。
欲しいものがたくさんあったが、ここは美味しいものを食べるために我慢w

さて、いよいよ唐招提寺に到着。

唐招提寺。756年(天平勝宝8)、聖武・孝謙両上皇の勅願により唐から来朝した鑑真和上が新田部親王の旧宅を譲り受けて建立した寺。それ以前の5年間は鑑真和上は東大寺にいる。

軒丸瓦に寺の名前が見られますが、よく見ると2種類ある。
「唐招提寺」と「唐律招提寺」。


唐招提寺は初めは唐律招提寺と呼ばれていたことを思い出す。
ここでの僕のお気に入りは、金堂の千手観音立像。高さは5mを越え、大脇手は42本、小脇手は911本残っている。 
元は文字通り千手あったのだろう。
この隙間なく出ている小脇手がなんとも言えず好き。
何と言う救済感。

ちなみに鑑真和上像はご開帳にタイミングが合わず未だに観たことはない(泣)

開山堂から東室を見下ろす。

一の瓦とニの瓦では異なる鬼瓦が使われている。表情の違いがおわかりになると思う。
唐招提寺では鼓楼の鬼瓦が好きな人が多いと聞くが、僕は東室のプレデターみたいな鬼瓦が好きだ。

奥へ、鑑真和上御廟へ。
御廟へ向かう苑路の両手には林があり。苔が

微妙な起伏が堪らない。
「苔の絨毯だね」と表している方々がいたが、
これは苔の山であり、森であり、苔の波だ。

ミクロに視ればまた違う世界が。
いく視ていても飽きない。

御廟の手前にある「天平の甍」碑。

あらためて書くまでもないが、井上靖の傑作のひとつ。

何度か読んだことがある。
そして何度読んでも、個人的にはこの本は普照より業行の物語だ。
業行は入唐留学僧。
普照より先に入唐している。
唐で己れの天分を知り、受け入れ、以後の30年間経典を書写することに全てを賭ける。
経典を日本に持ち帰り、日本にいる自分より若い、優秀な僧たちに託すために。
業行の乗った船は日本を前にして座礁する。
海に沈んでいく経典を追い掛け業行もまた…。

これを生き甲斐だの幸不幸の話だの、努力と成果と名声の話として解釈する方々がいる。
どう読むかは自由だ。
しかし僕にはそうは読めない。
仏教とは、それを究めようとする人間の幸不幸や名声などを超越している学問だ。

その学問に直面した業行、努力、才能、志、使命感。
悶絶のうえ、自らの才と使命を経典の書写と受け容れた業行。
そして自分が書写した経典がさらに書き写され日本中に広がることを想像していた業行。

色づき始めた木々を眺めながら、そんなことを思い唐招提寺を後にした。

つづく






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