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毒親とは

前回からかなり時間が経ってしまった。

毒親のことで悩む人はこの世にたくさん居て、子を持つ親ももしかして自分も毒親かも知れないと思う人も少なからず居ることがわかった。

最近思うことは
毒親とは子どもが幸せになる事を制限する親だということ。
それは無自覚ということが大半だということ。

親の影響が子どもに予想以上に暗い影を落とし、子どもはその呪いとも言える魔法をいくら頑張っても払いのけることができない。

たとえ勇者のように勇ましく払いのけて幸せを掴んだかのように見えたとしても、いつの日か未来に突然その封印された魔法が現実に姿を現し蘇ることがある。

私だって無理だったのだからあなたも同じだ、私が幸せになれなかったからあなたもきっとなれない、言葉にしないのにかけられる圧とも取れるようなその恐ろしい魔法。
子どもが幸せを感じているなら問題はないけれど選択肢を狭めてしまった可能性は往々にしてある。
私は自分が幸せになろうとする一歩手前になると母が浮かんで来る。
浮かんでくるというか声が聞こえてくる気がする。
母は私の頭の中でこう言う。
『私を助けてくれないくせに自分だけが幸せになろうとするのね』
直接そんな風に言われたことなど無いというのに!
そして私はふと思い止まるのだ。
『自分だけが幸せになる訳にはいかない』と。それを解決するのはただ一つ。
母と縁を切ること。距離を置くこと。そんな事は百も承知。それが出来ないから苦しむ。

出来ない理由を考えてみた。
親がもう歳だから、自分が見離したら会わないまま死ぬかも知れない。
そうなると自分は後悔して死ぬまで苦しむだろう、結局、自己愛なのだ。

母を思っているようで自分を守っている事に愕然とする。

自分は優しい人間だと思って生きてきたのにそうではなかったのだ。
常に不満や上手くいかない理由を誰かのせいにして自分は悪くないと正当化して、親のせいにしてきたのかも知れない。
周りに責任を押し付けて、優柔不断で好きなものの為にフラフラと流されて、振り切って自分の幸せを追い求めたけれど思うようにいかなくなるとまた誰が悪かったのか犯人探し。
自分だけの責任だと認めてしまう事が怖いのだ。悩みながら選択した道が全て過ちだったなんて認められる人がこの世にいたりするのだろうか。

こんな人間を本気で愛する人なんてこの世に居ないのかも知れないと思うこともある。
自分を愛することを中途半端にしていた罪は大きい。しかし私はまだ死にたくなくて、こんな自分でも生きている意味はきっとあるはずだと最近になってやっと密かに思えるようになった。

子どもも居るし友もいる。
仕事もあるし住む家もある。
推しも居れば笑顔になれる瞬間もある。
誰かを笑わせる事もできる。

人生は修行の連続。
生きたくても生きられなかった人達がいる。
命があるのに精一杯楽しめていない不甲斐ない自分に喝を入れる為に私は今日も勇気を出して布団から這い上がり、メイクをする💄

良いよね、とりあえずはこんな感じで。

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