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ノストラダムスを信じて

若い人は知らないかも知れない。
預言者と聞いて昭和世代が半数以上は答えるであろうノストラダムスという名前。

1999年7月に地球が滅亡するという予言をしたとされる有名人。
その頃生きていた人は少なからずどこかでその予言を意識していた、はず。
世に普及したコンピューターが誤作動を犯し2000年に切り替わるかどうかそれにより地球が終わるのでは、と密かに囁かれたこともあった2000年問題というものもあった。

とにかく世紀末だったあの世界に、私は生きていた。
地球が滅亡する理由は隕石が落ちて衝突するということが有力な情報であり、その日までにやりたい事はなるべくしておく事が必須だった。

会いたい人に会い、行きたい場所に行き、食べたいものを食べて、見たい景色を見る。
勉強をして良い大学へ行く事なんてバカのする事だ、良い会社に入ってお金を稼ぐ事なんて無意味だ。だって隕石が衝突してしまうのだから、と。

明日死ぬかもしれないとただただ、のほほんと今日一日が無事に生きれた事を祝うかのように生きて楽しんで笑いあった。

そして、何事も成し遂げるどころかお金をろくに貯金もせず欲しいものを買い、部屋を飾り、友人と語り、アイドルのコンサートへ行き、歌い、踊り、漫才を見ては笑い、意味もなく推し活をした。
恋をして失恋をして、親を亡くし、また彼氏ができて結婚し出産し、離婚して子育てして中年になって、ふと気づくとまだ地球は存続していた。

老後を考える歳になり、ふと思った。
ノストラダムスの大予言、ハズれとるやん!

出来ないことのオンパレードだったコロナ禍も最近はなりを潜め、人類は生きている者たちで埋め尽くされたまま何ごともなかったかのようにテレビで外国の戦争のニュースや飢餓の実態を放送している。

ある意味、滅亡かと思われた時期もあった。
個人的にヤバかったこともある。

でも生きている。

予言を信じてひたすら生を全うしようと躍起になっていた何も成し遂げていない自分がポツンと残った。

後悔はないとは言えない。

ノストラダムスを恨んでもいない。

ただ、ある日突然、命の終わりが見えた時に、最後の最後には、ああ、良い人生だったと微笑みながら旅立ちたい。
大切に人に惜しまれながら、ありがとうみんな、と手を振りたい。

そのために私はあともう少しだけ、この世でもがき苦しみながら幸せだと思える瞬間の為に生きたい。
地球滅亡なんて日は、今後もない事を祈り、当たり前のようでいて奇跡のような日々に感謝したい。
ありがとう、私に出会ってくれた人たち。
みなさんに幸あれ

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