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ハピネスブルーの話

販売員の女性がニコニコしながらショーケースの中の指輪を並べ、あれも素敵これも素敵と営業トークを振り撒いてくれる。
店内には自分と同じような、天にも昇りそうな笑顔を浮かべる女性が数人いた。
指輪にこだわらずとも、なにか揃いのものを買う時男性は少し冷静な顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。

連れのTは、これは派手すぎ、台座は何がいいかとあれこれ話す私に笑顔で話を合わせてくれた。
数日前電話で話した時、お揃いの指輪とか買ってもらってる子に憧れるというようなことを言ったのを彼はしっかりと覚えていて「買いに行こう」と言ってくれたのだった。

今思うと安物のシルバーに小さな青いダイヤモンドが気持ち程度に埋まったクオリティとしては玩具のようなものだったが。
現に、友人のつけている結婚指輪は一流ブランドのもので値は30倍くらいした。
それでも名前を刻印してもらって店頭で一緒にはめた時、多分私は人生で一番幸せだったと思う。

Tは離れていてもこれで大丈夫だと寂しがり屋の私の心を見透かしたようなことを言った。それからずっと、左手薬指の指輪は私の心の支えだった。

それにしても幸せとはどこから逃げていくのだろう。我妻善逸が言っていたように、私達の幸せの箱には穴が空いていたのだろうか。
それとも途中から同居を始めた家の排水溝とかから毎日少しずつ漏れていたのだろうか。

ある朝、早朝に起きるのが嫌すぎて私の手を振り払ったTの手が私が指輪をぶら下げていたネックレスのチェーンに引っかかり「ぶち」という嫌な音が耳元で響いた。
文句を言う私にTは「あっ」と呟いて、直しとくよと続けてから仕事に向かった。
私が帰宅した時ネックレスは直っていたが、その時言った「もうしないでね」という言葉に返事はなかった。
そして、当然謝罪をすることもなかった。

そのうち揃いの指輪を首からぶら下げて歩くことも無くなり、私はそれでも肌身離さずに付けていた。
彼のジュエリーボックスに保管されているだけで嬉しかった。
彼の友人が同じような意図の指輪を嬉しそうに嵌めていた日も私だけが片割れを首からぶら下げていた。

ほどなくして私たちは破局して、私は指輪を始めTから譲り受けた色々なものを彼の机に置いて家を出た。
別になんのアピールでもなく、Tのことは最初からいなかったことにしたかったから彼に繋がる全てのものを持ち帰りたくなかったのだ。

経年劣化というか、皮脂とか汗で段々色がくすんでいった指輪のことを考える。
そのうち磨いても磨いても汚れが落ちなくなり、二度と買った当初のようにキラキラ光ることはなかった。
あれは何かを暗示していたような気がしてならない。
多分、Tがあれを付けなくなった日彼の中でも何かが終わっていたのだろう。

でもさ、T、私思うんだけどさ。
多分あん時もちぎれたのってチェーンだけじゃなかったんだと思うよ。
いや、別に今更意味なんてないけど。ああ、変な話してごめん。

え?未練?いや、ないでしょ。
別れただけならまだしも自分のこと嫌いになった男に未練なんて持ってても意味ないもん。
ま、元気でやってよ。
なんやかんやで君は結構いい奴だったと思うからさ。

おわり

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