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「世界中の誰よりきっと」と織田哲郎さんの曲

私には、今年25歳になる息子がいます。
もう一人、今年20歳になる息子もいます。

上の息子は大学院生で、今日も研究室へ。
電車内では、音楽を聴くのが好きみたいです。

帰宅後に息子が、
「お母さん、今日、昭和?平成?の歌だと思うけど、すごく良い曲があった」と声を掛けてきました。
誰の歌かわからないけど、女性だったというので、同居の母親(息子からすると、祖母)は、「中森明菜?」と言っていたけど・・・違うようで。

リストを再度確認してもらったら、その曲は
「世界中の誰よりきっと」でした。
(母親は「中」は合ってた~と喜んでました)

SNSには、公式チャンネルのものしか貼らないようにしておりますので・・・本家本元の作曲者のにしました。

と思ったら、ミポリンオフィシャルも発見!!!

中山美穂&WANDS。
世界中の誰よりきっと。
リリース1992年10月28日。

息子が生まれる5年前の曲です。
1992年。私は看護学生でした。B'zに夢中でした。

この話を書くと、脱線してしまうので、B'zの話は置いておきます。

織田哲郎さん。
良い曲たくさん作ってましたね。

WANDSの「世界が終るまでは・・・」もすごく良い曲ですし。
「もっと強く抱きしめたなら」もね。

DAIGOさんもカバーしてました。

やっぱりね、良い曲は、みんな歌いたくなるんですよ。
メロディラインが印象的で、美しい。
「世界中の誰よりきっと」は、最近ですと、上白石萌音さんもカバーしているらしいです。

最初に紹介した動画で、織田さんは、世界中の誰よりきっとのコード進行にこだわりがあるっていう話をされていました。

私は幼少期から中学に上がるくらいまでエレクトーンを習っていて、
中学時代は吹奏楽部だったので、音楽はとても好きなんです。
作曲するとかではないので、そこまで詳しくは無いのですが。

織田さんの作る曲って、テンポやリズムが良くても、
歌詞がしっかり聞こえるようにメロディに載せてくれているなと思います。

丁寧な感じと言うんでしょうか。
音楽に対する丁寧さが伝わってきますね。

私は、織田哲郎さんの曲と言えば、コレですね。
ポカリスエットのCM曲で、一色紗英さんが出てました。

どうやら、ポカリスエットのCM曲で一番印象に残った歌、というのにも選ばれているらしいです。
織田哲郎さんの伸びやかな歌声が、夏のポカリと一色紗英さんの爽やかなイメージにぴったりでしたね。

読むらじるで、織田哲郎さんのことが紹介されておりました。
売野雅勇さんがパーソナリティを務めていた番組に出演されていたものです。

織田さんの作曲で一番売れた歌は、「世界中の誰よりきっと」で、
次がZARDの「負けないで」、
その次がちびまる子ちゃんのテーマソングでもある「おどるポンポコリン」
なんですね。

まるちゃんのテーマソングといえば、西城秀樹さんが歌ってた「走れ正直者」も織田さんの作曲だったはず。
みんなに親しまれるメロディラインは、様々なカタチで表現されるのですね。

ZARDの名曲も、多数作られています。
「この愛に泳ぎ疲れても」とか「眠れない夜を抱いて」なんかが、私は好きでした。

このオリコンの記事には、小室哲哉氏の話も出てきてます。
私は、TM NETWORKやその後のTKプロデュース作品も大好きだったので、この話はまた別な機会にしますね。

私が音楽を好きでよく聴いていた、1980年代~1990年代は、それこそみんなが同じような曲を聴いて、同じような曲を歌っていたので、
今でもその頃の歌の話になると、「同じ時代を生きていた」という感じがするんですね。

音楽って凄い。時代を創りますからね。

個人のSNS に好きな音楽のことをあげると、
そのSNS上でリアクションするのが恥ずかしい・・・という友人知人から、直接連絡が来ます。
ついつい連絡したくなるらしい。

やはり、みんな、心の琴線に触れる音楽があるんですよね。

私も、多感な思春期時代、どれだけ音楽に励まされてきたことか。
音楽に励まされ、鼓舞して、頑張ってきました。
何せあの頃は「24時間戦えますか」というCMが流行るくらい、イケイケGOGO!な時代だったのと、第2次ベビーブーマーであり、とにかくライバルが多かったので、ひたすら頑張るしか無かった時代でもありました。


そんな私が今、楽しみにしているイベントはこれです。

最後の会場での開催が、8月上旬にあります。
宜しければ、是非!あの頃の思い出に浸りましょう。

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