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臆病の私が行動するためには、「お守り」が必要だ。

一休誰絵です。しばらく更新が途絶えていましたが、昨日の投稿をきっかけに、新たに頭にポっと思い浮かんだことを書いてみようかと思い、キーボードと向き合っているところです。

最近、「一歩を踏み出す怖さを持つ人って、最終的にはどういったことが引き金になるのか」ということを考えます。

私ごとにもなりますが、やはり一歩を踏み出す時の怖さって、確かに大きいのです。めちゃめちゃに大きい。
もし、新たに行動をしていく怖さと引き換えに、1日断食しろ!と言われれたら喜んで引き受けたい。そのくらい、怖い。

それが、自分たちの周りの人たちに同様の経験者がいない時とかとなるとさらに怖い。考えれば考えるほど、さらに怖くなる。

けれど、そんなときに周りに不安をもらすと「そんな考えたってしょうがないでしょ?とっとと動け」と言われてしまう。
でも、この言葉は、自分の中でなんども言い聞かせているものだ。そこでまた誰かに言われてしまうと、さらに自分に対する嫌悪感が増大する。まるで「今すぐ他人になれ」と言われているような気がして。
そんな負の連鎖が延々と続く。

一時期、自己啓発本を何十冊も読む時期があったのですが、最後はきまって「とにかく行動あるのみ。何渋っているのか!」とこりゃまた本に怒られてしまったのです。(同時に「なんて脳筋野郎みたいなことを言っているのだ」と、チッと思ってしまいますが)

同時に、ああ周りや時代に流されてなんとなくで行動できる人が心底うらやましい、自分は「流れることができないくせに、行動もできない」と、どっちつかずで落ち込んでしまう。

こんなの、大の大人からすると、弱音を吐いている、みんな不安がっているのに何いってんだ。と頭をボコられそうです。

そんな行動する時に伴う不安との向き合い方について、これまでどう対処すればいいのかを懸命に考えてました。でも、なんとなくですが、答えは出た気がします。

必要なのは、お守りでした。

それは、行動するときに自分の支えになる「お守り」が私には必要だったのです。これは世紀の発見です。

私みたいな臆病者で、かつ誰かに頼れない人にとって、このまま行動するのは極度に不安がるのは当然なのです。だから、行動したあとも一緒に着いてきてくれるお守りのような存在がどうしても必要。

これが例えば、手相占いででてきた「〇〇線」でもいいですし、「動物占いで私は〇〇だったから、ピンチの時は大丈夫だ」といったものでもいいと思っています。

占いなんて、信じちゃだめだ、という意見は一旦置きたい。要は、「自分には常に〇〇を持っているから何かあった時でも、なんとかなるだろう」という安心感を携える。海外行ったときにパスポートを盗まれても、大使館があるからなんとか大丈夫だ、といった感覚と同じです。

そのお守りさえあれば、臆病な人たちも、多少は行動できるきっかけになるのかな、と思っています。

臆病な人たちにとっての「お守り」は、強い人にとっては「自信」に値するものかなと。自信を持っていないのであれば、物理的でもいいからお守りを持っておく。

強い人の真似ができないのであれば、弱い人なりの戦略は必要です。

私の場合、これまで人並みにアクションを起こしてきたつもりですが、決まってそのときに出逢った本が支えになっていたと思います。この本を何度も読み返して、私は大丈夫だ、と何度も勇気づけてきました。

私も、これからの行動を起こすために、さらにたくさんのお守りを作っていこうと思います。

そんな感じです。おしまい。





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