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『生きる LIVING』を観てきました【書く1ヶ月チャレンジ:Day 31】

どうも、一休誰絵です。本日でチャレンジが終了しますが、下手したら2ヶ月チャレンジ、という名の下で続ける気もします。たぶん、ああそう言うと32日目に突入できないのは、昔からの悪い癖です。
あと、今日は最終日の割には手っ取り早くいきます。なぜなら、明日の数学のゼミの準備をすっかり忘れていたので。記事を書き終えたら速攻取り掛かります。無理無理!コワイヨォ〜!私の心の中のののかちゃんが叫んでいる。

昨日(時刻的には一昨日)映画を観てきました。

今回観てきた映画は、『生きる LIVING』。
黒澤明監督の映画を、イギリスにてリメイクしたものです。脚本はカズオ・イシグロ氏。

大まかなあらすじとしては、役所で働く中年男性が末期ガンにより余命わずかであることを宣告され、死ぬまでの時間をどう生きていこうかと思案するもの。ハリウッドのような派手さのない、しっとりした映画です。
(たぶん、同じような映画をハリウッドで作ったら、主人公は船で世界一周すると思う)

以降、ネタバレ含みます。とはいいつつ、昔の映画なのでどこのサイトでもネタバレはあるものです。どうしてもネタバレを見たくない方は、次の見出しまですっ飛ばしてください。



これまで、とくに生きがいもやりがいもなく生きてきた主人公だったのですが、残された時間がはっきり分かると、途端に焦り始めるのです。会社を無断欠勤して地方に行って遊ぼうとするも、遊び方が分からず、また同僚の若い女性部下が自分の人生を踏み出す姿に憧れを抱いたり。
もしかしたら、現代を生きる我々も同様にぶつかる壁ではないかと思うのです。

考えた挙句、その後は、目の前にある、自分が頑張れそうなことに力を入れ始めます。その目の前のことというのは、自分がこれまでおろそかにしていた仕事です。ひと仕事を終えたのち、彼は雪の中、ブランコを漕ぎながら永遠の眠りにつきます。

意外と、小さな満足感で事足りるのかも

後半はボロッボロ涙。その涙のワケというものは、案外派手なことをしなくても、人生に対し深い充足感を覚えさえすれば、悔いなく死ねるのかもな、と悟りに近い感情が出てきたからです。

とくに大きなことはしなかった主人公ですが、目の前の仕事に力を入れたことによって、たとえそれが小さな成果物であったとしても、後世に永遠に残るとは限らない形であったとしても、満足したのです。その満足感が、彼にとっての生きた心地のようでした。「ああ、やっと頑張ることができた」といった具合に。そして、雪の中で死んでいく彼に、人間の愛おしさを感じたものです。

今を生きる我々も通じる部分はきっとあると思っています。
今やっていることに対して、「やりたいのはこれじゃない」とは簡単に言えるものですが、一度その「これじゃない」ものに力を注いでみたら、案外満足感って得られるものなのかもな、とも思っています。
だから、今の環境で一度頑張ってみるのもありだと思う。もし、本気で違うな、と思ったらその時はその時で考えればいいのかもしれません。

自分達は、あまりに情報が多すぎて、だれかの生きがいやりがいを見て、時々落ち込んでしまうことがあります。が、少しでも自分が頑張った、という何かがあったとするならば、たとえ他人の成果物と比較することがあったとしても、きっと自分を完全否定することはないと思っています。
私も(23歳という世間ではゴリゴリのあまちゃんではありますが)それなりに紆余曲折して生きていますが、多少なりの自信というか、「まあ、自分ならなんとかなる」という思いははある……

この書く習慣1ヶ月チャレンジもそれなりに力を注いで、頑張ってネタを探したので、これも充足感のひとつになっていることを願って、今日は締めます。

今置かれた環境で頑張る、ということで、今から数学のゼミの予習をしてきます。
イヤダヨォ〜〜〜!!




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