【読書記録】アルケミストー聖書解釈本なのか?
どうも、一休誰絵です。しばらく続いている読書記録、後一つ控えていたりするので、いい加減別のことを書きたいけど抑えます。
今回読了したのがこちら。
こちらは休学を検討した時にいろいろなサイトで「これを読め!」と紹介されて促されたように読みました。実際読了したのは休学してしばらく経った時のつい昨日でしたが。
読んだ直後にAmazonレビューを見ると、賛否両論……?
私、本を読了するたびにAmazonのレビューを眺めて他の人はどのような感想を抱いたのかを見るのがひとつの楽しみにしています。今回もやはり、読了直後に見てみました。
全体のレビューは5点満点中4.3点というかなり高評価。アメリカの著名人もこちらの本を推薦することがままあるそうなのです。
しかし、日本語で書かれたレビューを見てみると、「馴染めなかった」「理解ができなかった」というものがちらほら見られたのです。
確かに、私も読み進めていく中で、翻訳本の宿命なのでしょうか、ちょいちょい「おっ?」と流れが止まってしまったことがあったのです。まあ、私は普段翻訳本を読むことが頻繁ではないため、単に読み慣れていない故のことなのでしょうが。
ほら、あれです。英語の長文読解で答え合わせをするときに、解答集に載っている本文訳が「そういう訳し方なのね、結構文学的な感じだな」と思う、あの感覚です。
聖書解釈本に近い、読む人の文化的な背景で感想が変わる
そして、本題の中身のことなのですが、自己啓発本と言われているだけあって、名言っぽいものが多かったです。自己啓発本を物語に乗せていった感じ(「載せる」ではなくあえて「乗せる」と表現しています)。
ちょっとそれますが、この頃読書していると、「多分この立場で読むとこういった感想を持つだろうな」というどこか俯瞰的に読む癖がつくようになってしまいました。小学生の頃のように、どんな物語でも、その中にどっぷりハマって読む機会が少なくなりました。本との相性によりますかね……
というわけで、この本との相性はばっちり!ということではありませんでした。少し悔しいですが。おそらく翻訳本ゆえなのでしょう。
こちらの本は、ちょいちょい聖書の中の話が出てきました。作者の方はカトリック系のクリスチャンということもあり。そういったことを前提に読むと、ある程度理解はできるのかなと思います。幸い、私は大学がミッション系で1年時にキリスト教学が必修だったので、勉強する機会があり「おうおうなるほどね」と思えたのかも。
だから、クリスチャンが多いアメリカをはじめとした国で広く読まれているのだなと理解しました。同時に、キリスト教での教えをあまり知らない(知る機会がない)日本人にとっては、より賛否分かれるのだと思います。あと翻訳ですね。
最後に、刺さった言葉を残す
せっかくなので、最後に印象に残り付箋で貼り付けた文を残して今回は終わりたいと思います。
ひとつ目。これはあらすじが必要なので。
(主人公が、老人と出会い、とある物語を聞く場面。ある少年が、王様に油をすくったスプーンで宮殿を探索するよう指示されて、周ったあとのこと。探索中、油をこぼすなと言われていた。1回目は零さずに戻ってきたが、それに集中しすぎた。そこで王様から宮殿内のすばらしさを見ろと、再び探索。主人公は宮殿の美しさを感じたが、戻ってきた時は油がなかった)
私の解釈としては、もっと先の幸福を追い求めるのもいいけど、目の前に置かれている状況であること、自分の身の回りで起こることにも目を配るのだよ、案外小さな幸せもあるかもよ?ということだと思います。
ふたつ目。
本当にこの言葉通りなのですが、これが刺さっているということは、気をつけなければいけない証拠ですね。
3つ目。これが今の自分に一番刺さった。
行動できないときの不安が、それですよね。今の私です。
最後までお読みいただいき、ありがとうございました。