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中途半端な優しさは時に残酷になり得る話

昨日、映画『オペラ座の怪人』(4Kデジタルリマスター)を観てきた
ミュージカルは何度か観ていて、作品自体の大ファンだったが、映画ではより人物像が明らかになって、少し違った印象を持った。

最後にクリスティーヌがファントムにキスすると、これまでの孤独、妬み嫉みで凍りついたファントムの心がやっと溶け始める…のだが、
これはクリスティーヌの愛が同情から来るものではなく、ピュアで本物だったからだと思った。
ファントムの仮面の下の表情を暴いても臆することなく、同情を介さない愛を注げるというのは、生半可なことではない。

そう思ったところで、過去の未熟すぎた自分のした過ちをまた思い出した。
普段は封印されてるのだが、時折なにかの拍子に頭をもたげる罪悪感。
過去の数々の罪悪感はこれまで浮上してくる度に1つ1つ向き合って、受け入れてきたつもりなのだが、もう終わっただろうと思っても、しばらく経つと昇華し切れていないものがまた次から次へと現れる。。

以下、その思い出した話。
もう20年以上前の事なので、少し俯瞰して見つめる事ができそうなので書いてみる。



当時の私は6年半に及ぶアメリカ留学から帰国したばかりで、実家でしばらく就活中という名のニート生活を送っていた頃だったのだが、Yahoo! やMSNなどにチャットサービスというのがあった。
まだそうしたサービスの走りの頃だったので少し怖い気もしていたが、ネットで就活サイトを見てる傍らで、時折Y!のチャットサービスで知らない誰かと話したりしていた。

その中で会話が続く人が1人いた。
ニート生活だったので仕事の面接か、派遣会社に登録に行くとか言わないと外出すること自体が親から怪しまれたので、なんだかんだそんなようなことを言ってその人と時折会うようになった。

その彼は躁鬱、パニック障害に加え、胃がんも併発しており、余命を告げられている状態だった。それでも母親と犬と3人暮らしだから働かないといけないと言って、フルタイムで仕事をしていた。
彼は北関東に住んでいたが、そんな状態であまりロングドライブはさせられないと思い、私の地元と彼の住む場所との中間地点に当たるようなところまで私が電車で行って、そこで会うようにしていた。
だが、ドライブが好きだという彼は、私も助手席に乗ってドライブに出かけるのが好きだというと、喜んであちこち連れて行ってくれようとした。調子が良い時は都内まで連れて行ってくれたこともあった。
途中で薬を服用しつつ、私には心配かけまいと相当無理して頑張っていたんじゃないかと思う。(その後私も抑うつやパニック障害を経験したので、それがどれだけ気合いの必要な冒険だったかわかる…。その上さらに癌の痛みもあったんじゃないかと思うと言葉にならない。)
一方、私も私で、彼が実はしんどいのを隠しているんであろう様子や、強い精神安定剤を服用しながらのドライブは正直怖いと思っていた部分もあったのだが、その不安を悟られまいと頑張って楽しく幸せなふりをしていた。

もう記憶が曖昧だが、チャットの時点で彼の病のことは聞いていたと思う。
なのになぜ会うことを決めたかというと、その時の私は
「もし今自分が余命を告げられたとしたら、この世で一番叶えたいことは、自分の大好きな人と、一度で良いから両思いになって、ラブラブな時間を過ごしてみたい。」
と思ったからだ。

それまでの私は好きになった人の数は多かったけど全て片思いで、手遅れくらいまで我慢しきった後、最後の最後にダメを承知でやっと自分の気持ちにケリをつけるためだけに告白し、案の定玉砕して終わる…という、見事全て似たようなパターンを繰り返し、一度も恋愛が実って来ない人生だった。(今もまだそこに変革が起きてないのだが…💧)
「私はいずれステキな人と結ばれることを夢見て、自分を高めようとこんなに頑張ってきたのに、何て神様は意地悪なんだろう…。(当時)26〜7になっても、まだ一度も好きな人と両思いになってお付き合いしたことがないなんて…。
そんなに頑張らなくても普通に彼氏作って、普通に結婚して子供産んでる人もたくさんいる…むしろそれは当たり前のことのようにされてるのに、私はなんでその当たり前ができないんだろう…。」
とずっとそんな風に思っていた。
だから、死ぬ前に一度で良いから好きな人と両思いになって、ベタなデートしたりしたい…というのが当時の私の切実な願いだった。
だから、余命宣告された彼の望みが私と会うことなら、それを叶えたい…と思ってしまったのだ。

ただ、この私の思いは途轍もなく甘かったことに後々気付かされることになった。

当たり前だが、彼は焦っていた。。
彼に合わせて「私も好きだ」と言ってしまっていた自分が一番いけないのだが(嫌いではなかったが、心底好きとは言い切れない気持ちだった)、会う回数を重ねるうちに、本気で結婚したい…と彼が口にするようになった。

そもそも私は相手が彼じゃなかったとしても「結婚」という言葉がピンと来ないタイプの人間だった。なんなら今でもピンと来ていない。
口では一度は結婚してみたいとか言っていたものの、あくまでその程度であって、なんの実感もないまま言っていたことを、当時の私はそれすらあまり理解できていなかった。
だが、そんな私のポンコツな言い訳は置いておいても、彼の口から「結婚したい」という言葉を聞いた時に、これは只事ではないように思えてきてしまった…正直、怖くなってしまったのだ。

まだ学生を卒業したばかりの私は、もし彼がその時目の前で急に倒れてしまっただけでも、きっと慌てふためいて、パニックになって、役立たずになるのが目に見えるくらいの無力さだったし、
結婚したとて、彼はそう遠くない未来に、私を置いて先に行ってしまうのではないか…。
それなのに「結婚したい」とは…?

しばらく混乱した後、私はまだその段階ではないのに、急すぎるし勝手じゃないか?と思えてきた。それは余命のこととは別に、私の気持ちを考えてくれてない気がする…
と「結婚」という言葉の怖さから逃れるために最もらしい不満をこじつけた。

そこからどちらからともなくしばらく連絡が途絶えた。

彼の体調も気になっていたが、連絡したとて何かできる訳でもないし、私ももう彼と会うことが怖くなっていたので、どうにも動けなかった。

しばらくして電話がきたので出てみると、相手は彼の入院していた病院の看護師さんだった。
何を話したがあまり覚えていないが、とにかく彼からの「会いたい」を断らないといけないと思って、「他に好きな人ができたので、もう会えません…ってお伝えしていただけますか?」と苦渋の嘘を伝えた。
この期に及んで、そんな別れ方あるか?と思うけど、それしか思いつかなかった。
彼の最後の望みを叶えたい…みたいに良い人ぶった挙句、背負いきれずに放り出した。
私は最悪な人間だと思った。

数日後、再びその看護師さんから連絡があった。彼はICUにいると言っていた。
そして、「どうか遊びじゃなかった…って言ってください」と言われた。
これは誓っていえる、私は遊びなんかではなかった。
「信じていいんですね?」と念を押されたので、「はい」と答えると、それで安心しました…と言っておられた。その後もう一言釘を刺された気がするけど、覚えていない。。
そのやり取りは血の気が引くような緊張感だったが、その看護師さんが取り持ってくれたおかげで、私も救われた。
決して良い別れ方ではなかったけど…。

今考えるとその時の事態の深刻さも、私はちゃんとは把握できていなかったな…と、約10年前に母を癌で看取った後の今の私はやっとそう思えるようになったが、当時はまだ何もわかっていなかった。

それでも、1つだけ身に深く刻まれるほど強烈に学んだことがある。

同情から中途半端な優しさを差し出すことは、時に相手を残酷なまでに傷付ける

ということ。
つまり偽善者ぶって思い上がるな、ってこと。

いや、その時に偽善者ぶったつもりはなかったんだけど、相手の思いを背負い切れずに結果的に裏切るような形になってしまったら、そう言われても仕方ない。。

そして、もっと最悪だな、と自分で思ったのは、
それ以降もずっと私は恋愛でうまく行ったことがなくて、結局今も未婚独身のままなんだけど、
それは完全に私自身の課題なのに、
「彼がまだ私を許してくれてないのかも…」などと、ふとした時に頭をよぎることだった。
つい昨日も、その『オペラ座の怪人』の映画を観てきた後、泣きながらシャワー浴びてる時にそんなことを思ってしまった。
そんなこと言ったら、「それ、俺のせい?違うだろ!」って逆に怒られる気がする。。
ただ彼への罪悪感を心のどこかで抱え続けていたのは確かで、それが新しい恋愛に対するブロック(の一部)になっていたかもしれない…とは思う。

戒めのため、この罪悪感は「捨てる」ことはしてはいけないような気がするのだが、何らかの形で昇華させなければ、この先もずっと常にアクセルとブレーキを一緒に踏んでいる状態になってしまう。。
だが、私自身がこの罪悪感を赦してしまっていいのだろうか…

わからないから「罪悪感 手放し」で検索してみた。

罪悪感を抱いてても良い、
そのままの自分を受け入れる

これがしっくりきたので、ひとまず今は無理に手放そうとせずに、この罪悪感を持ったままの自分を丸ごと認めて受け入れてみることにしようと思う。

…すでに少し気持ちが楽になった気がする。


自分に起こることは全て最善、
だとすると、
彼と出会って私が学んだことは、誰もが必ずしも通る必要があるって訳じゃないけど、
私にとっては必要だったことなのだ。

だから、私に出会ってくれて、ものすごい大切なことを置いて行ってくれてありがとう…。

今これを書きながら、
やっと罪悪感を感謝に変えられたかもしれない。。

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