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第167回 直木賞受賞予想してみた


 ごきげんよう。あわいゆきです。

 今回は7月20日に発表される直木三十五賞の受賞作を予想していきます。

 なお、あくまでも予想です。作品の内容評価とは離れた、外的要因も幾分か踏まえて予想をするのでその点はご理解ください。

 まずは候補作の確認から。

河﨑秋子『絞め殺しの樹』(小学館)
窪美澄『夜に星を放つ』(文藝春秋)
呉勝浩『爆弾』(講談社)
永井紗耶子『女人入眼』(中央公論新社)
深緑野分『スタッフロール』(文藝春秋)
日本文学振興会さんのツイートを引用

 以前に投稿した予想の的中率は 3 / 5。『黛家の兄弟』が漏れたのはやや意外でしたが、本命どころは割と順当な顔ぶれではないでしょうか。
 意外だったのは永井さんの『女人入眼』で、これを予想している人はいなかったはず。私も未読で紹介すらしていなかったので、網羅できていないなあ……と思う次第です。

 今回はかなり難解。簡単にですが一作ずつ紹介をして、受賞作の予想をしていきます。
 なお、作品内容そのものの評価ではなく、「賞を受賞できるか」を観点に書いていくので、ご了承ください。
 いちいち読むのが面倒くさい方は、目次から「私の予想」まで飛んでいただけると。

 作品のネタバレがあるので、未読の方は注意してください。


河﨑秋子『絞め殺しの樹』(小学館)


 『颶風の王』『肉弾』『土に贖う』など、北海道を舞台にした重厚な作品を立て続けに刊行し、そのたびに話題となっている河﨑さんの五作目。
 今回も舞台は北海道で、幼いころに根室の親戚(吉岡家)に引き取られたミサエが田舎の陰湿さや悪意に直面し、多くの苦難に遭います。
 物語の後半ではミサエの血を継いだ息子の雄介に視点が移り、農家の跡を継ぐことを期待されながら、廃れていく根室の街を出ていくか留まるかを思い悩みます。
 一貫して、田舎の悪意や土地のしがらみに立ち向かっていく作品です。


 いわゆる〈生きづらさ〉を描いた作品ですが、同系統のものではここ数年でも卓越したものを感じさせました。

 まずは描写力。開幕早々からミサエが使用人以下の存在としてこき使われ、徹底的にひどい扱いをうけるさまには壮絶なものがあります。ひとつひとつのエピソードが胸に迫るものになっているので、序盤から読み進めるのが息苦しくなるほどのインパクトがありました。この描写の凄まじさはミサエが大人になっても、視点が雄介に移り変わっても衰えません。読むのが苦しいのに読み進めてしまう、並大抵の筆力ではできない力強さを実現させています。

 そして物語としての新しさ。苦難を経てきたミサエは結婚して娘をうむと、彼女の子どもらしい甘えを許すことができずに、かつて経験してきた辛さを娘にも強要してしまいます。その後、ある女性から諭される「あなたは、哀れでも可哀相でもないんですよ」というセリフは、可哀想な人生だったと回顧することで自分に傷をつけてしまうことの脆さを切実に示していました。一章では〈子どもにも同じ辛さを強要する加害性の連鎖〉〈可哀想だと逃避することによる空虚さ〉を織り交ぜることによって、被害者を被害者たらしめないようになっていました。

 とはいえ、上のようなアプローチなら昨今だとそれほど珍しくもありません。上半期だと早見和真さんの『八月の母』も、同じ視点から女性の搾取と生きづらさを描いていました。この作品のほんとうの新しさは、ここまでのアプローチを前提とした第二章にあります。

 第二章の語り手となる雄介は、周囲の悪意に辟易としながらも、跡継ぎとしての宿命を諦念気味に受け入れています。「跡継ぎ」として期待される男の生きづらさを描きながらも、雄介は実母であるミサエの過去を追っていくことで、本当に跡を継いでいいのかと進路を思い悩むようになります。
 近年の〈生きづらさ〉を描いた作品は、閉塞感や苦しさから救われるために縛られていたものから解放される、外を向いた結末がほとんどでした。血のつながりを断ち切ったり苦しみの根源となる人物と縁を切ったり。あるいは田舎から離れて都会で心機一転を試みたり。そのセオリーに則れば、雄介は親族のしがらみから解放され、息の詰まるような田舎から抜け出すところでしょう。
 しかしこの物語は、苦しみから解放される結末に落ち着きません。タイトルにもなっている「絞め殺しの樹」――芯木に絡みついて栄養を奪い殺してしまう菩提樹になぞらえて、雄介は田舎のしがらみや付きまとってくる悪意を正面から迎え撃とうと決意します。最期まで根室で生きた母ミサエの血を引き継ぎ、荒れた土地で枯れていくとわかっていても根を張って生き続けるラストは、壮絶の一言に尽きます。
 哀れだと知っていても「血のつながり」を一身に背負って死のうとする覚悟は、ほかの多くの作品には見られないものでした。

 正直なところ、読んでいて楽しい作品ではありません。不快な登場人物が大半を占めており勧善懲悪からもかけ離れているので、エンターテインメントを期待しているとただ辛さを味わうだけになると思います。
 ただ、それをものともしない壮絶さと覚悟がこの作品には備わっていました。出来栄えは間違いなく一級品です。

 選考時の懸念としては、悪意のある登場人物が大半を占めているので、世界観の構築を過剰なものとして捉えられかねないことでしょうか。また、先述の通り読んでいて楽しさを見出すのはかなり難しく、エンタメからは遠い距離にある作品なので、カテゴリーエラーと判断する方もいそうです。
 ただ、文章の上手さと物語としての強度はこの作品が頭ひとつ抜けているので、個人的にはかなり有力だと思います。
 浅田次郎さんとか案外推してそう。


窪美澄『夜に星を放つ』(文藝春秋)


 自社枠そのいち。直木賞にも何度か候補入り経験がある窪美澄さんの短編集。
 世界観のつながりこそないものの、収録されている短編の筋書きは一貫しています。何らかの暗さを抱えた語り手が、救済してくれる他者と出会い、明るさを取り戻していく。そして語り手が立ち直ったとき、救済相手は語り手の前から姿を消す。その際、救済してくれる相手にはそれぞれ星座のモチーフが割り振られており、作品の主題と密接に絡み合っています。

 言い換えると、この作品の短編はいずれも、夜(暗い世界)を生きている主人公が星座(夜にだけ輝く存在)と出会い、明るい朝(スタートライン)を迎えるまでの物語になっています。朝になると星座は見えなくなってしまうので、必然的に読後感はいずれもほろ苦いものになっていました。
 この構造を把握してから読むと、物語がよりわかりやすくなるのではないでしょうか。


 そして『夜に星を放つ』は説明しがたい不思議な魅力を有していました。
 というのもこの作品、読んでいて新しさを見出すのはかなり難しいです。いずれの短編も人物像や話の流れはよくあるもので、エンタメ的な起伏が大きいわけでもない。文章も平易な言葉ばかりで綴られているので、読みやすい反面、個性には乏しい。

 それでも飽かずに読ませるのは、基礎部分の造りが極めて丁寧だからだと思います。人物造形、物語の構成、リーダビリティ、いずれも瑕疵がないのは読むうえで魅力のひとつにもなります。原点に立ち返ったようなつくりによって、小説を読む歓びのようなものを再確認させてくれる、地力がないとできない仕上がりになっていました。
 また、安易な救済や感傷に走っていないのも、物語の強度を確かなものにしています。現実をしっかり捉えた筆致になっているのも、好印象です。

 よくもわるくも癖がないため、インパクトは薄め。
 今回の候補作は癖の強い作品が多いので、そこが吉と出るか凶と出るかでしょう。


呉勝浩『爆弾』(講談社)


『スワン』『俺たちのうたをうたえ』に続く三作品連続の候補入りで、すっかり直木賞常連となっている呉さんの最新作。
 今回も題材はミステリーとヒューマニズム。些細な傷害事件を起こして取調を受けていた謎の男「タゴサク」が、秋葉原で起きる「爆発」を予言したところから物語は始まります。爆破テロを未然に防ぐべく警察はタゴサクと駆け引きを繰り広げながら、彼の理屈めいた詭弁に翻弄され、自分の抱いていた価値観とのあいだで揺れ動く。エンタメミステリに分類される作品ですが、ジャンルに収まらない人間の内面をしっかり掘り下げた作品としても成立していました。

 そしてこの作品がすぐれているのは何よりも、読者を物語に巻き込もうとする姿勢です。対岸の火事のように読みふけって眺めるだけでなく、物語に参加させようとする試みがいくつもなされていました。

 まずは物語の軸となっているミステリー。タゴサクは爆弾が置かれている場所のヒントを「クイズ」形式で出していきます。このクイズが食わせ物で、「ここからクイズです」と親切に提示するのではなく、タゴサクの不気味な世間話がいつの間にかクイズを解くヒントになっている。何気ない会話のはずが気付いたら謎解きが始まっている、という提示方法を採ることで、読者に油断させる隙を与えません。知らず知らずタゴサクの長台詞に引き込まれていく、没入感を味わわせます。
 前作『おれたちの歌をうたえ』では近代文学の知識も交えた謎がポンと置かれるだけで、読者を引っ張る推進力としては不足していたので、大きな進化と呼べると思います。

 また、読者の足元を揺さぶってくるタゴサクの人間観も見逃せません。彼が弄する性悪説を基盤とした「他人の命にランクを付ける」理屈は一見して詭弁のようで、しかし確実に登場人物を翻弄していきます。次第にその理屈は「人間が等しく有している感情なのではないか」と思わせる説得力を帯びはじめ、読者に自分の価値観を見つめさせることを強要します。
 歪んだ思想に説得力を持たせる際はどうしても作者の意図が透けがちなものですが、それを感じさせないのはタゴサクの話術によって彼のカリスマ性、魅力をしっかり引き出せているからに他ならないでしょう。人間の描き方は非常に優れています。

 そして読者に価値観を見つめさせる代弁者として、女子大生のゆかりを登場させたのもよかったと思います。典型的な〈無自覚に選民している〉大衆の代表として描かれる彼女は世間の動きと自らの感情に翻弄されて、次々に起こる爆破テロの前に逃げ惑います。愚かさを前面に出している彼女に、知らず知らず憐憫を向けてしまう読者も多いでしょう。しかしゆかりをどこか馬鹿にしていた読者は、最後の最後で鮮やかに裏切られる仕組みになっています。タゴサクと同じ「人を分別してしまう」思想を読者にも抱かせ、巧みに回収させるフックとして機能していました。

 今回の候補作でもエンターテインメント性はずば抜けています。物語の力で読者を巻き込んでいこうとする姿勢も、人間を描こうとする姿勢もはっきりと感じさせます。
 一方、物語の動機を男女関係に回収した終盤と、タゴサクの人間性を最後まで露わにしなかった物語の結末については意見がわかれそうです。ミステリーのトリックについてもかなり大味なので、一定の指摘は受けるかもしれません。
 エンタメ性に特化しているので、受賞するかはかなり推測しづらい作品です。ただ今回の候補作に並ぶと、研ぎ澄まされたエンタメ性は概ね好意的に受け止められそうな予感がします。


永井紗耶子『女人入眼』(中央公論新社)


 完全ノーマークだった時代小説枠。鎌倉時代初期に起きた政争「大姫入内」が題材。丹後局から大姫の入宮をサポートする密命をうけた周子が経験を積みながら、政治で勝ち負けを決める際の"情"の取り扱いと、強さと力のありかたについて考えていきます。
 今期の大河ドラマでもちょうど鎌倉時代を舞台に「大姫入内」のくだりが放映されてることもあり、非常に時事性の強い一冊。

 慈円が『愚管抄』に収めた言葉、「女人此国ヲバ入眼スト申伝ヘタルハ是也」を冒頭で予言のごとく配置しているように、物語のスポットライトは三人の女性、周子・大姫・北条政子の女性三人にあてられています。
 ただ、そのなかでも群を抜いて魅力的に描かれており、今作品最大の持ち味を生み出していたのは、なんといっても北条政子でしょう。


 この物語では、ほとんどの登場人物が政(政治)における感情を不要なものとして扱っていました。各々の「目的」を達成するために私情を徹底的に排除し、盤上で繰り広げられる囲碁のように人を扱っていくさまは、ある意味における政争のリアルです。終盤でも大姫を感情のままに救おうとする周子は、家のため政のため、あらゆる理由で多くの人間から引き止められています。

 しかし、物語中で唯一、一貫して自らの「感情」を露わにしながら動いているのが北条政子でした。政治のために感情を押し殺す人間が多くいるなか、彼女だけがその特異性を振りかざします。他人の感情を顧みずに自分の感情を貫くその姿は傲慢であり、悪役であり、圧倒的に強い。
 描写次第では大姫を束縛する「毒親」として簡単に括れてしまう北条政子の人物像を、徹底した対比構造で唯一性と強さを浮き彫りにし、絶対的な存在感を誇る悪のカリスマに仕立て上げる技術には感服するほかありません。北条政子のカリスマ性をこれ以上ない形で、忠実に再現してきています。


 また、語り手である周子が出した「強さ」に対する結論も、ほかの誰とも一致しない第三の活路を見出していて非常に好印象でした。人は碁石ではなく血肉が通る、それゆえ他人の感情を蔑ろにしてはいけない――書いてみると当たり前のことですが、エゴイスティックやシステムとの折り合いをつけるのは難しいことです。人の感情を「弱さ」だと認め、強くなるのを強要するのではなく弱さに愛しさを抱き、寄り添おうとする姿勢は現代の価値観とも接続されていました。

 欲を言えば周子が「強さ」を求めていた人間としては終始他人にやさしすぎたきらいがあり、終盤の語りに説得力が追いついていないような感覚もあったのですが、このあたりは個人差があるかもしれません。
 前回直木賞を受賞した『黒牢城』『塞王の楯』みたく、史実をベースにオリジナルのエンタメ要素を付与したわけではないので、一見して地味っぽくも見えます。ですがそのぶん人間同士のかかわりあいに焦点を置いた、かなり安定している歴史小説です。受賞してもおかしくないと思います。


深緑野分『スタッフロール』(文藝春秋)


 自社枠そのに。映画業界に携わった二人の女性の視点から戦後のハリウッド50年の歴史を俯瞰しつつ、映画に携わる人間の夢と愛を描いていきます。

 作中では50年以上の歴史を描く際、アナログとデジタルを対比して置くことで、物語に奥行きを出していました。
 第一章で語り手となる特殊造形師のマチルダはアナログ技術を身に着けつつハリウッドの隆盛をリアルタイムで経験します。しかしアナログ技術をどこまでも真摯に追求していた彼女は、次第にやってくるデジタル(CG)の波を認めることができませんでした。これまで歩んできた人生を根底から揺るがす未知の価値観を受け容れられるか、を焦点に描かれる彼女の葛藤は普遍性が高く、映画に限らないあらゆる物事でも起きうることです。一章終盤のマチルダが最終的にとった行動はあまりにもままならなく、胸にせまるものがありました。

 そして第二章では時代が現代に飛び、CGクリエイターのヴィヴィアンに視点が移ります。第一章でCGの波に屈したのち、図らずしも伝説のクリエイターとなったマチルダを尊敬し嫉妬するヴィヴィアンは、マチルダが映画業界から身を消した原因を知って思い悩みます。ここでCGクリエイター(一章では過去を否定する価値観として置かれていたもの)は特殊造形師に憧れや嫉妬を抱く、つまり過去を肯定する存在として再提示されます。アナログ→デジタルの進歩は過去の否定によって前進する一方通行ではなく、相互に作用しあっていまも繋がっている。この構造によってアナログとデジタルのあいだに引かれていた境界線は次第に喪われていき、最後に浮かび上がってくるのはアナログとデジタルのあいだにある共通項、クリエイターの技術を追い求める真摯さと、映画にかける愛情です。結論として非常におさまりがよいので、読んでいてスッキリさせられました。

 また、第二章では第一章でマチルダの周辺を賑わせた個性的な登場人物が次々に再登場し、マチルダの名前をスタッフロールに残そうとひと悶着起こします。登場人物が活き活きとしながら最終的に手を取り合っていく展開はエンターテインメント性にあふれていました。
 ただ、「ハリウッド」という題材がみせる広がりのわりに世界観が内輪で完結しすぎていたり、マチルダ当人の意思を差し置いて外野の願望と憶測を中心に話が進んでいく展開には少し引っかかりを覚えました。劇場で劇を見ているような感覚にも近いかもしれません。

 深緑さんの映画に対する愛情が全編通してあふれており、人間に対して肯定的な感情にあふれているので、読み心地はよいです。一方、前回候補作になった『ベルリンは晴れているか』の完成度と比べると(物語の方向性がまったく異なるので、一概に比較できるものではありませんが)なかなか難しいものがあります。自信をもっては勧めづらい。
 いかんせん私が映画に疎いので、もっと詳しいひとが読んだら違う角度から感想を抱けるのかもしれないです……。
 

私の予想


 今回の直木賞はかなり難解だと思います。候補作の力量差がはっきりしていた前回に比べるとどの作品も一長一短で、なおかつ大衆性のある面白さを持った作品が少ない。
 その点、今回は芥川賞のほうに単純明快な(わかりやすい)面白さを持った作品が多くあるようには感じます。芥川賞のほうが人に勧めやすい作品が多い、というのも珍しい話ですね。


 そんな混戦模様ですが、悩みに悩んだ結果、私は呉勝浩『爆弾』をいちばんに推します。ミステリ部分にまだ研げる部分があるとはいえど、読者の足元をも揺るがす人間の描き方は一級品。完成度からしても、明らかに過去の候補作よりも秀でているのは間違いありません。そしてなによりも今回の候補作だと大衆性ではずば抜けていました。

 次点で河﨑秋子『絞め殺しの樹』。筆力と強度は頭ひとつ抜けているのですが、いかんせんエンタメ性からかけ離れすぎているので、選考でもかなり議論を呼びそうです。直木賞にふさわしいのか、と議論になったケースだと一年前に佐藤究さんの『テスカトリポカ』がありましたが、あちらが一種の「ワクワク」をもたらせてくれるのに対して、この作品はそれすらないので……。
 
 三番手には大穴予想になりますが「受賞作なし」で。もちろん昨今の状況を踏まえれば是が非でも受賞作を出したいところで、薄い線だとは思います。ただ今回は作品ごとに個性がばらばらで、票がかなり割れそうな顔ぶれ。議論が膠着状態に陥ったとき、10年以上ぶりの悲しい結果に終わる可能性もあると思います。

 そのほかの作品にも簡単に言及。自社の二作品、窪美澄『夜に星を放つ』は小説の巧さを感じさせながらも独自性の乏しさが、深緑野分『スタッフロール』は一定の完成度を認めつつも過去作との比較が選考のうえで障壁になってきそうです。前回の自社枠に比べるとかなり強力になっているので、確実にないとは言い切れません。
 永井紗耶子『女人入眼』は非常によくまとまった作品で、完成度も高いです。ただ前回の受賞作である『黒牢城』『塞王の楯』が放っていたエンターテインメント性の前だと、パンチに欠ける印象は否めませんでした。
 さすがに厳しいだろう、という感じの作品は一作品もないので、その点も予想を難しくしているように思います。
 

本命 : 呉勝浩『爆弾』単独受賞
対抗 : 河﨑秋子『絞め殺しの樹』単独受賞
単穴 : 受賞作なし

 というわけで、私の予想はこんな感じ。
 非常に難しい回なので、自信はないですね……。本来なら選考委員の方々がどの作品を支持するかまで予想しようと思っていたのですが、わからなすぎて断念しました。
 本命にした『爆弾』にかんしては、三浦しをんさんや宮部みゆきさんあたりの支持を期待しています。

 ともあれ、直木賞の受賞作発表は7月20日(水)です。楽しみに待ちましょう。
 芥川賞の予想も(まだなにも書いていませんが)投稿できるように努力します。


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