220203 スプレッドシートで精神安定

 高校3年生の1年間はいやな思い出しかないのだけど、中でもくり返し思い出してしまう、脳裏に焼き付いている光景がある。

 当時、大学受験のため横浜の大手塾に通っていた私はよくダイエー(もうつぶれている)のフードコートでお昼ご飯を食べていた。できたてが食べられるお好み焼き屋と、その隣にサブウェイがあり、野菜がたくさん挟んであって健康そうだったので私はしょっちゅうサブウェイに通っていた。

 たしか、いちばん安いサンドが300円ちょっと。ランチセットにすると500円弱だったと思う。その頃は母親が私の受験のストレスで精神科に入院していたので(入院自体はよくあることだったのでそこまで大事件ではなかった)、父に食費のレシートを渡すと精算してくれる決まりになっていた。特に1日いくらと制限はされなかったが、なんとなく1000円以上は使いすぎな気がしたので昼食と夕食で500円ずつと決めていた。

 その日も私はサブウェイのランチセットを食べていた。

「あんた、いいもん食べてんなァ」

 隣のテーブルに座っていた50〜60代くらいのおじさんが突然話しかけてきた。もちろん初対面だ。

「おじさんなんてよぉ、これだけだよ。あんた、よっぽど親が金持ちなのかよ?」

 おじさんのテーブルには、ダイエーの食料品売り場で買ったらしい5個入りのミニクリームパンと、自由にくんでいい紙コップ入りの水が置いてあった。ダイエーのフードコートなのだから、ダイエーで買った商品は自由に食べていい。水も「ご自由にどうぞ」と書いてある。何もルール違反はしていない。ただ、その昼食を「貧乏くさい」と感じる人は多そうだし、当時の私もその1人だった。

「いえ、別に……」

 完全に無視してもキレられそうで怖いので、いちおう相手をするふうのポーズをとる。全身で「関わりたくない」オーラを出すと、おじさんはずっと隣でぶつぶつ言いながら、クリームパンをかじり、こちらをジロジロ眺め、何度か舌打ちをしていた。

 私は早く立ち去りたくて、せっかく買ったランチセットを大急ぎで食べ終え席を離れた。おじさんはもう話しかけてこなかった。

 あの時、私は高校の制服姿だった。すごく有名なわけではないが、ブレザーの左胸に派手めのエンブレムが縫いつけてあり、いかにも私立の進学校っぽいデザインの。実際、クラスメートも先輩も後輩もお金持ちばかりで、教育費はじゃぶじゃぶ注ぎ込む、塾代はいくらでも出すから必ず有名大に行かせるという感じの家庭が多い高校である。

 あのおじさんは私が憎くて仕方なかったんだろうな、と今では思う。見ず知らずの女子高生に恨み言を言わずにはいられないくらい。

 1人でサブウェイのランチセットを食べている私が、幸せでお気楽な学生に見えたんだろう。親の金で贅沢しやがってと思ったんだろう。お金がある人は、それだけで幸福そうに見えるから。

 あの日から7年ほどたち、一人暮らしを始めて3年目の今、実家にいた頃に比べると生活水準は相当下がった。そして今月末付で会社を退職するので(最終出社は終わったので気持ちはもう退職済)、来月末を最後に毎月の給料は振り込まれなくなる。

 独立にあたり、お金以外の不安は今のところあまりないが、逆に言えばお金の不安は常に付きまとって脳の容量の一部を食っている。おじさんの言葉を借りるところの「金持ちの親」は、私が今でも会社に勤めていると信じているので借金の相談はまず不可能だ。

「貧乏」「貧困」「困窮」、そういう言葉から私が真っ先に連想するのは、あの日のおじさんの姿である。この「会社を辞めて独立」という挑戦が失敗した先にあるのは、あんなふうになることであり、もっと悪ければ5個入クリームパンどころか……。

 こんなふうに悪い想像のスイッチが入ったとき、スプレッドシートで具体的に収支計算を進めていくと脳は落ち着きを取り戻す。漠然とした「お金が足りなくなるかも」という不安が、具体的に「○月にn円足りなくなりそうだから今月の交際費はy円までに抑える。残りはこの月の原稿料で補う」のようなプランに形を変えてくれるからだ。

 貧乏になるのは怖いが、私はお金持ちの家の子どもが全員幸せなわけではないことを知っている。家と学校と塾以外に行くところがなかったあの頃に比べて、私はずいぶん質素な生活をしているが、ずっと自由で、ずっと自分のことが好きだ。




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