左脳・右脳2元・両脳交互1元

フィヒテは自我を二重の存在として捉えます。ひとつは僕たちの経験的な自我。もう一つはその経験的な自我の根底にある絶対的な自我です。

認識論における統覚とは、自分自身の内面状態の心による内省的あるいは反省的な不安

イマヌエル・カントは 超越論的統覚とは、主体――経験の必要条件および経験の統一の最終的な基礎である純粋な、本来の、変わらない意識――としての純粋自己の意識を含むような客体の認識である。

 経験的統覚とは、自分の変化する状態、すなわち内感による実際の具体的な自己意識である。

人間は知的活動に伴う能動感情が欲望あり、自己自身の理性的認識自由である。自由とは、スピノザによれば、自己の本性の必然性によってのみ働くことをいうからである。                             

「永遠の相の下に」永遠の相のもとに万物を認識するの真の認識であるとされた。

道徳的適切さを指摘した上で、第三者である「公平な観察者」が「同感(sympathy)」でき、当事者は「内なる人」として内面化する。そして、常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、「自己規制」しつつ相互行為するものである。そして、これにより、内なる道徳を持つ「フェアプレー」の世界である社会が形成されると主張する。

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