海や磯や潮の香りという認識が、私にはなかった。
そもそもそんな『香り』という概念がなかった。
海は当たり前にあって、そのすぐ近くで生活している事は私にとっては『日常』で、そこから生まれる香りはただの『空気』だった。

離れて初めて、その香りに気づく。

海辺の町で生まれて15歳まで過ごした。
海は私の生活のすぐそばにいつもあった。
当たり前だった。
高校進学で町を出て、大学進学で隣の比較的大きな街を出るまでは、その香りが潮や磯、海そのもののものとさえ気がつかなかった。

海を見ない生活をしている現在、お盆やお正月に帰省して、真っ先に感じるのは、海の香り。
一瞬で、帰ってきたなと思える。


窓から見える程そばではなかったけど、浜までは歩いて2分。
そこを通らなければ家には着けず、いつも毎日海を見ながら行ったり帰ったりしていた。


図工の時間は当たり前の様に船の絵を描き、
美術展の優秀作品で飾られるのは船の絵ばかりだった。
友だちの名前が船の名前の由来になっていることも、漁業で生計を立てている家庭もそう珍しくはなかった。
魚は買う物ではなく、お隣さんや知り合いから頂くもの。
食卓にはよく魚が並んだ。皆上手に捌く。
海辺の町でしか手に入らない新鮮なもの。

夏の放課後や夏休みになると、目の前の湾に飛び込み、叱られたりもした。
地区にある、ひょこっと出た小島は、小学生の私たちにとっては絶好の遊び場で、その小島を右周りで回ったり、左周りで回ったり、岩場で遊んでみたり。
潮の満ち引きは何となく体で覚えたし、そこいらの道具で釣りの真似事をしたり、潜ったりしていた。イソギンチャクの口に指を入れてみたり、サワサワ動くフナムシを足音で驚かせたり。
海で遊ぶことは学校で禁止されていて、湾で働く大人に見つかって叱られたりしていた。
磯で足や手を切るのはしょっちゅうで、大して効きもしないヨモギを潰して手当ての真似事のようなことをしたりもしていた。

中学校は自転車通学で、海沿いの道を自転車で通っていた。
キラキラ光る水面がとてもきれいで眩しかった。
毎日同じ時間に登校する私たちは、水面の眩しさで季節の移り変わりを感じていた。
田舎の峠道には小さな暗いトンネルがあった。
昼間でも薄暗くて、とても怖いトンネルを私たちは大声で歌を歌いながら通過していた。
トンネルを抜けると一気に下り坂で、春は桜の並木が峠沿いに並んで、
なんともきれいな桜道を海に向かって一気に下っていく。
アップダウンの激しい自転車通学は好きではなかったけど、あのトンネルを抜けた下り坂の爽快感は好きだった。

夏の海水浴も娯楽のない小さな町では、仕方なく当たり前のもので、みんなスイスイ泳げるから、自転車で行ける海水浴場へ水着セット1つ持って行っていた。
浮き輪もパラソルも無しで、ただただ波に身を任せて浮かんだり、波に抵抗するように泳いでみたり。
遠泳だ!とただひたすら沖まで泳いだりした。
ぷかぷか浮かんでみたり、深く潜ってみたり、砂浜で大きな池を掘ってみたり、落とし穴を作ったり、時間と暇を潰すのにも、夏休みの海は最適だった。
私たちが遊んだ浜は、のちのち県内でも有名な海水浴場になって、車が列をなして、色んなところからたくさんの人が泳ぎに行くのをテレビのニュースで見る事になるとは思いもしなかった。
わざわざあの浜に泳ぐために車で行くなんて。

大人になって、海を感じる事は少なくなった。
少し行けば見れる距離にはある。
でもそれは、ただの海であって、私が過ごした地元のそれとは違う。
入江でとても荒々しい。

穏やかな湾に佇む海が無性に見たくなる時がある。
キラキラ光る水面と共に、住んでいた時には感じもさえしなかった潮や磯や海の香りも。

渦中にいる時にはその価値どころか存在さえ分からない。
離れて、遠くにいるからこそ分かる。

気がついたのは、私が『外』にいるからなんだろう。

ふるさとは遠きにありて思ふもの と昔の誰かが言っていたね。

住んでいる時は、
町中が知り合いのようなその町で、
隣近所との距離感に辟易しながら、
毎日見飽きた光景に何の魅力も感じられず、そこから出ることばかり考えていた。

実際に出てから、少し遠巻きで見る田舎の海辺の町が今はとても尊く、そこで生まれて育った事は私の自慢にさえなる。

人は身勝手な生き物だ。
でもその身勝手さが私を支えて、そんな私を自分が一番気に入っている。

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