WBC

WBCの決勝を見ていた。 
野球は昔から好きなスポーツだ。
一番はじめにルールを覚えた球技は野球。
するのは苦手だから、観戦専門だけど。
所用で車のTVでの観戦になった。
6回ウラから9回表の大谷のガッツポーズまで見届けられた。

WBCはすごかった。
もちろんプレーする選手側もだけど、色んな国の色んな人が、選手の動きに一喜一憂する姿に、ただただ心を打たれた。
あの球場にいる1人1人が色んなものを抱えてあの場にいるはずなのに、皆同じ方向を見ていた。もちろんあの場に足を運ばなくとも色んなところから見ていた人も沢山いる。
単純な言葉で言うと世界が一つになった気がした。

でもね、
WBCに出られる選手って、野球選手の中のほんの一握り。
さらっと出ているように見える人たちだけど、多分私なんかが想像も出来ないような努力と練習の上にある。

それでも、日の目を浴びたことは多分すごい事で、明るい場所に出れずに悔しい想いをしている人、悔しさまで辿り着がない人だって沢山いる。

ふと、これは野球に限ったことじゃないな。と思った。

最近の私はTVドラマが大好きで、それはそれは沢山見ているんだけど、
やっぱりTVドラマに出て演じている人って、すごくキレイで眩しい。
スポーツ選手とは違うけれど、
それでもやっぱり私なんかが想像できない位の努力の先の輝く世界なんだろう。
もちろんこれは、テレビドラマやTVに限ったことではなく、色んなところで輝いている人全てに当てはまる。

そしてそれはいわゆる『一般人』にも。
悪い意味ではなく、有名なスポーツ選手だとか誰もが知る有名芸能人、他にも、秀でたものをもっている有名人とかではなく、
とにかく一般の、そんなに多数に知られていない人。

もちろん私もそこに含まれるのだけれど、
いわゆる他に沢山知られていない『一般人』だって、人知れず努力したり、負けそうになったり、それでも鼓舞したり、されたり、確信したりされながら生きている。
他や多には輝いて見えずとも、色んな事の中で時には流されたり、止まったり。
自分で選べない事もあるし、自由に選択できる時もある。
それでもその時々、できる範囲でその人の考えた努力をしながら生きているような気がする。
他からみれば、なんてことない努力や行動だって、当の本人にしてみれば、困難だったり、容易だったり、
でもその価値は、自分のものさしでしか測れないのではないだろうか。

世界や世間から注目を浴びるか浴びないかの違いがどこにあるのかは、分からないけど、結局は自分の度量なのかもしれない。

それでもWBCは、ただの観戦者の私をとても勇気づけてくれた。
日本代表が、とかではない。
あの場でプレーする、全ての選手の動きと背負った背景を思うと、それだけで頑張る力になる。
生まれ持った才能も少なからずはあるだろう。なし得るだけの環境も。
でも、きっと想像もつかない練習量と、数々の挫折と逆境と、それを乗り越える更なる努力が全ての選手にはあったはずだ。
TV越しの野球選手はとても眩しく見えた。

それでも、やはり心を強く動かす言葉を放ったのは大谷翔平。
彼の言葉だから報道されたのかもしれない。
しかし、他の誰でもない、大谷翔平の言葉だからこそ、たくさんの人に、まっすぐに届いたのではないだろうか。
 
多分色んなところで報道されている。
決勝で円陣を組んだ時、チームメイトに向けた言葉。
『僕から一個だけ。
憧れるのをやめましょう。 
野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう』

そういう自分こそが憧れの対象そのものであると言うのに、強い強い言葉。
この人はこれまでも色んな場面で、こうやって自分をとことん鼓舞しながら、奮い立たせながら、人に負けない努力を続けながら闘って来たのだろう。
そして彼は今回のチームの優勝や自分の功績をものともせず、これからもきっともっと上を目指しながら、闘い続けていくのだろう。

白球をただひたすら追いかけ続ける野球選手と、その姿を力一杯応援する観客の姿に沢山の勇気と力をもらった。

野球選手や有名人に比べたら、なし得ることの少ない極々一般人な私だけれど、
私の苦労や努力や頑張りは私にしか分からない。
すべきこと出来ることを自分なりに考えながら、自問自答を忘れず、時には奮い立せたり褒めたりして、目指す位置へ向かおうと思う。
野球にもらった力を糧に、明日も明後日ももっと先もきっと頑張れる。



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