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アンメット号泣。それは痛みと愛TT。知らんけど

ドラマアンメット1話みて、見終わって、涙止まらん
登場人物の感情が揺さぶられてるのを見たせいで自分の中にある全然関係ない感情まで揺さぶられてぐるんぐるんにされた

あんま言葉にできなくて悔しいけど多分めっちゃ愛を感じた
のと同じくらい痛みを感じた
そしたら私の中にある痛みや愛が掘り起こされて涙になった。多分そう

こんな嗚咽して泣いたの久しぶりでしかももやもやする感情じゃない痛いんだけどすごい愛情深い感じの涙

先月で退職したわけやけど、4年間つらかったなーーーーーって痛みはずっと私の中に残っていて今もふとしたときに思い出しては痛くなってた

それとは別に最近ふとしたときに恋愛ではない、だけどなんか「どきどき」が心に出てくることがあって、これは何?ってよく思ってた

まずこのどきどきは、日々自分が「進んでる」ってことへのどきどきなのかもって思った。新しい環境で新しい人と出会って新しい情報を得て毎日違う毎日を過ごしていてアップデートされている感覚。家事掃除料理など家のこと、日々過ごすなかでの自分の内側にある感情のこと、今までこの4年の間になかった感覚がここにはあって、ちゃんと自分で進めていかないとって責任と、進めたいって欲と、楽しいって喜びと、それが誰かから言われたり空気を読んでそう思わないとって思ってではなく自分の内側からそう思えていることの凄さ

そうやって毎日ちゃんと自分が新しいことに触れて経験して悩んでも乗り越えようとして自分で自分を進めようとできていること、進んでいることにどきどきしているのかもしれないって思った

そう思ったときにこれまでの4年間にあった感情を思い出した
そこにはアンメットを見て感じた、「愛」と「痛み」があってリンクしたのかなって思った

中身がどうだったかにかかわらず確かに4年続けられたのは事実で、それは完全に愛があったからだと思ってる
物理的に自分のキャパを超えた業務にしんどくなったり帰るのが遅くなって生活を管理できなくなったり、精神的に頑張らなきゃなのになぜか前のめりになれなくてつらかったりだけどやるからにはやりたいから故意的にかつ無意識的に熱量を上げて取り組んだり、このままじゃだめって思ってても内省する自分に向き合う余力も持てなくてそんな自分にうんざりしたり。そうしたら結果的に目の前のことにはできる限り全力で取り組むけど目に見えてわかる目立った成長もなくて、頑張ってはいる(かもしれない)けど自分が自分として本当に進んでいるのかもわからなくてなんかそんないろんな痛みがあった

やめたいやめたいって思ってたけど行動に移すまで本当にやめたいって気持ちにはなかなかならなくて、それはその痛みをカバーする分の愛があったからなんだろうと思う。

会社やサービスやお客様やメンバーや同期、時に思うことがあってもどうしても愛があったからやっぱやりたいしやめたくないんだよなって思わされてた
それはそこにそれだけの、自分をそうさせるほどのみんなの愛があったからだと思うし、それを感じ取ってしまうたびに自分もやめずに参加してたいなって思ってしまってた

けどほんとのほんとの内側には自分の痛みはずっとあるままで、愛がそれをカバーしてってそれの繰り返し
そんな感じで4年という時間が作られた気がしてる

それがいいか悪いかはわからないけど(いいとこもあればもっとどうにかできたらよかったとこもあるけど)私はそんな経験をできたこと自体は人生を彩るものとしてよかったなって思う

ただ今も自分の中に残る、思い出としての痛みと愛が、アンメットを見て掘り起こされてえぐられる感情になったのかも。。。。。という話
(なんかすんごい感情になったからとりあえず自分の中から出したくなった笑)

これからも何も一筋縄ではいかないはずだけどこれまでにあったような痛みはできるだけなくして(出たとしても向き合って乗り越える力をつけて)、そして自分に対しても自分以外に対しても愛をたっぷり感じて活かして進み続けられる状態でありたいなと思う!!


殴り書きnote^^
◎END◎


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