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シャイラ先生の「五禅支を育てる」コース7:出離 その1、概要と課題

(●はシャイラ先生お話や文献のメモ、*は私のコメントです)
*私用と怠惰のため2週間ほど間隔が空いてしまった。前回モジュールまでは何とかコースの進行についていけていたが、現在はすでにコースは公式的には終了してしまった。
*2週間あくと積み上がってきていたものが一旦リセットされた感じがある。もったいないとは思うが、あまり後悔せず、再開していこうと思う。
*最終モジュールのテーマは、放棄Renunciation。Renunciationはもしかしたら対応する仏教用語があるかもしれないが、調べてもはっきりしない。厭離や離貪かなーと思ったが違うようだ。
(修正:renunciationは、nekkhamma出離、離欲の訳語として一般的なようです)
*サマタ瞑想は何をやるか、それをなるとどうなるかがある程度明確で、そこが魅力的でもあり、罠でもあると思う。positivismというか。BeingモードではなくDoingモードでやれてしまうというか。*このコースでも五禅支を一つずつ確認し理解し実践していくという積み上げをしてきた。おそらく最終モジュールの「放棄」は、そうした方向性の全体を相対化するような内容だと思う。この意味で、このコースにとって画竜点睛となるような内容なのではないか。

*まず3つの課題を確認していきます。

課題1 満足感gratification、危険、回避escapeについて調べる

●放棄の実践は、自虐や自害、基本的ニーズの否定ではない。
●放棄のプロセスは、自分と感覚的快楽の関係を調べることでサポートされる。
●今日の五感、欲望を観察する。「その満足感は何か」と自問してみる。何が心地よく、魅力的なのか。特に注意を引く最初の引力に注目する。
●欲望が生じたとき、その危険性を考えてみる。「私は本当にこれを望んでいるか」「これを入手し維持することの大小は何か」「これは自分の幸福のための信頼できる基礎となるだろうか」と自問する。
●どんな満足感も一時的なもので、体験は常に無常である事実を考察する。
●欲望のメンタル状態が焦燥agitationを招くかどうか気づく。
●ある対象にふけることが無害だと判断した場合、その対象にマインドフルネスなしで近づくことが将来の渇望を強くする可能性を考慮する。
●欲望の危険性を調べることは、欲望するというメンタル行動や欲望体験を得ようとする身体行動に影響を与えるか?
●何かに対する欲望を放棄すること、あるいは入手したいという切望を満たさないことを、行ってみる。そして、欲望を手放した心の質に気づく。欲しいものを手に入れられなかったとき、ハッピーか、穏やかか、不満足でイライラするか?後日再考してみて、その対象は以前のように欲望を喚起するかをみてみる。
*欲望についての日常的実践を、①満足感を調べる、②危険性を考察する、③手放しを実践する、の三段階で行う枠組みが示されている。座る瞑想中の微細な欲望(体を動かしたい、いい境地を得たいなど)にも使えるだろうか。

課題2 幸福と手放し

●幸福は欲するものを手に入れることでなく、欲する事自体を終わらせることから来るかもしれないと、講義で述べた。次の事を試してみよう:
●欲するものを手にする事に成功したとき、どのように感じるか調べる。
●欲するものがある時、それを得ようと努力するのではなく、欲望を手放すことを選んだとき、どのように感じるかを調べる。
●上記の二通りのパターンで、どちらかまたは両方で幸福であったか。その幸福の原因はなにか。欲するものを得られない時でも、手放しによって喜びを体験することはできたか。
●手放しの際に本物の喜びを経験したのであれば、手放すという選択肢がいつでも可能かを感じてみる。手放す選択肢はいつでもあり、幸福は自分の外部にある達成、出来事、所有に依存しないのかもしれない。

*欲望を手放すlet goという操作に慣れ、それが何をもたらすかを確認するための実践のように思われる。

課題3 放棄の実験

●放棄の実践から恩恵を受けるのに、出家する必要はない。放棄の実践は、欲望を調べ、手放す能力を強化し、微細で深遠な喜びを体験する事の助けとなる。
●日常生活の中で、放棄の実験を行ってみる。毎日行っている以下のような活動のうちの1つか2つを選んで、しばらくやめてみる。心の渇望について何かを学ぶことができるかもしれない。
① デザート、コーヒー、温かいシャワーといった感覚的喜びをやめること。
② 空想的な計画や自己実現といった類の思考を断念してみること。
③ テレビゲーム、喫煙、深夜ニュース視聴など、習慣的活動をやめること。
④ 浪費を制限する。服装や装飾物や身だしなみを簡素化する。また音楽、読書、映画、テレビに制限を設ける。

*日常生活の中で何かをやめてみる事。ミニマリズム、断捨離、片付けの魔法みたいな話ではあります。今日であればSNSとスマホが真っ先に候補に上がってきてもよさそうだから、シャイラ先生は長年仙人のような生活をなさっているので、あまりご存知ないかもしれない。

*3つとも、主に日常生活で、欲望の観察や手放しの実践、習慣をやめてみる実験などを行う事をすすめている。欲望と手放しという事を体験的に理解し、習慣化するという方向性だろうか。欲望の性質を知り、手放しの喜びを知り、自然な手放しのプロセスが自然に発動する確率を上げること。それがサマタ瞑想内でも起こり、よい影響を与える(もしかしたら必須の要素となる?)のだろうか。

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