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シャイラ先生の「五禅支を育てる」コース6:一境性 その1、著書読解

*シャイラ先生のコースも、あと2週で、今回からは五禅支の最後の一境性に入り、佳境という感じです。尋伺喜楽までは軽くサマタ瞑想をやっていたらある程度想像がつきやすいのですが、一境性は最後の関門というイメージで、何がどうなったら一境性と言えるのか、よく分からない、と感じていました。果たしてどんなふうにレクチャーされるのか。
*今回は著書の一境性のところを先に読んでまず概要をつかむところからはじめます。

Focused & Fearlessの一境性の項

●五禅支の第五の要素である一境性は、選択した対象に対して焦点化と一点集中を維持するremain focused and one-pointed、マインドの能力を示す。
●一境性があるとき、マインドと対象のつながりは非常に安定し、気ぞらしやさ迷いへの誘引は皆無になる。一境性は伺に似ているが、伺のような探索的な性質は持たず、より安定した性質を持っている。伺は花の中に入って花粉の中を飛び回るミツバチにたとえられ、一境性は一箇所に固定された釘にたとえられる。
●一境性は確実性、深い安定性、明快さを伴い、意識と対象物はほとんど区別されないように感じられる。
●一境性が持つ安定性は、五蓋の貪欲を変容させるtransform。渇愛は今の経験がより長く続くこと、別のよいもの、より多くのものを求め、決して満足する事がない。一境性では不足の感覚がなく、何も欠けておらず、マインドは完全に統一され、経験と一体化している。

●五禅支は禅定体験において中心的な役割を果たすが、禅定におけるメンタル要素はこの5つだけではない。サーリプッタ長老は、禅定の際に観察される要素を列挙しており、五禅支以外にも以下が存在する:contact触、feeling感受、perception識、volition意、マインド、zeal熱意、decision決心、エネルギー、マインドフルネス、捨、注意attention。禅定においてもマインドフルネスと注意が存在する事には注意してください。
●五禅支が揃って生起することと、禅定とは同じではありません。五禅支の一部が強く出て禅定と勘違いする、強い楽に誘惑されるなどは、瞑想者によく起こります。
●一方で微細な瞑想の喜びが認識され損なうこともあります。熟練した瞑想者は、喜がもたらす軽さを、いつもの瞑想と同じと思ってしまうかもしれず、これを区別するには時間がかかるかもしれません。繰り返し内省しintrospect、五禅支の体験を調べ、探求し、住まうことで、各禅支がどのように知覚を強めるか、禅定を構成するかが分かってくるでしょう。

*対象への集中が増していくとそのうち生起する、みたいなイメージではあります。伺との比較での説明は分かりやすいですね。
*サーリプッタ長老が説いたという、禅定において存在するメンタル要素の列挙はなかなか興味深いです(訳語は正確ではないかもしれません。英語を仏教語に戻すのはときに難しく感じます)。

Wisdom wide and deepの一境性の項目

●古典的な注釈書では、一境性はleadershipの特性をもつと記述されている。レンネット(凝乳酵素)が牛乳の粒子をチーズにするように、関連するメンタル要素を結合させるはたらきがある。
●五禅支は、呼吸に注意を向け、それを維持するという練習を続けることで、自然に成長する。各禅支を育てようと特別な努力をする必要はない。喜びや幸福感を高めようとする誘惑に負けてはいけない。この段階では各禅支の強さを特に意識する必要はない。瞑想中に各禅支を調べてしまうと、マインドの統一が壊れてしまう。瞑想対象を一貫して知るという取り組みに満足し、対象に注意を向けるという単純な努力が五禅支すべてを育てることを信じてください。
*Focused & Fearlessと重複する内容は省略しました。leadershipを持ち、関連するメンタル要素を結合という説明、どうも具体的によくわからないですね。


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