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東京時層散歩〜東京都中央区明石町

出版社の社員だった頃、東銀座の会社から佃島の自宅まで、夜中にたびたびこの建物の前を歩いて帰りました。聖路加国際病院の敷地の真ん中あたり。あの頃は気にも留めなかったけれど、こうして昼間に通って初めて、とても美しい建物であることに気づきました。

これは聖路加国際病院の創設者、ルドルフ・トイスラー氏を記念して建てられた、通称『トイスラー記念館』。竣工は昭和8年。竣工当初は、トイスラー院長に看護教育宣教師として招かれたアリス・C・セントジョン女史の宿舎として使用されていた、とのこと。戦後は一時的に病院本部として機能したものの、その後は職員宿舎や事務所としても使用されていたそうです。

竣工当初は隅田川畔、今の聖路加タワーの辺りにあり、平成10年に現在の場所に移築された。

《設計は、旧病院棟・聖ルカ礼拝堂の設計に携わったアメリカ人建築家J・V・W・バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が手掛けています。建物は2階建の小規模な洋風住宅ながら鉄筋コンクリート構造を採用》
《外観のデザインは、化粧柱・梁などを配したハーフティンバー(木造建築で、柱・梁・筋違いなどを骨組として外部に見せ、壁面を石材・土壁などで埋める様式)風の意匠が目に留まります。また、室内意匠(チューダー・ゴシック風)は、重厚感のある木材で仕上げられた1階ホールやリビングの暖炉、優美な曲線を描く階段の手摺りなどが復元されており、気品あふれる内装にも特徴があります》
※東京都中央区のウェブサイトより。

かつては浅野内匠頭の上屋敷。その後も芥川龍之介の出生地。

ところで聖路加病院の広大な敷地は、江戸時代の初期、浅野内匠頭の上屋敷があったことでも知られています。忠臣蔵でおなじみの『刃傷松の廊下』事件で浅野家は取りつぶしとなり、後に討ち入りを果たした赤穂浪士たちは、今の両国にあった吉良上野介邸から隅田川沿いを歩き、永代橋を渡り、明石町の浅野家の屋敷跡を通って泉岳寺に向かったと伝えられています。
また、明治25年に芥川龍之介が生まれたのもこの敷地内。生家は小さな牧場を営んでいたというけれど、このあたりに牧草地なんてあったんだろうか。

……などなど。各施設の案内板に書かれた文章をまとめると以上の通り。いずれにしても、明石町は明治以来の外国人居留区であり、聖路加国際病院があったおかげで、佃や月島も空襲を免れ、あの街並みが守られました。中央区の中ではあまり目立たない明石町だけど、いろいろな歴史が時空を超えて交わっている場所なんだな、と。

冬の昼間の時間帯、建物は逆光で眩しい。しかし後ろのビルがレフ板代わりになり、とても良い明るさになるのですよ。

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