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”宣言明け”最初の旅は東京観光②:築地編

築地まで歩いて行ける幸せ。社員編集者だった頃は、徹夜入稿明け、たびたび築地まで朝ご飯を食べに行っていたし、フリーランスになった後も同様でした。東京都中央区のすごいところは、月島、築地、そして銀座という、まったく違う個性を持った街が、串刺しに並んでいること。その串にあたる部分が晴海通り。地下鉄で移動しているとよくわからないけれど、この道を歩いていると、ほぼ1kmごとに違う街に移動できると言ってもいいはずです。さっきまで昭和の街並みそのまんまの月島にいて、30分後には世界の銀座、四丁目の交差点に立っているのです。

あれでよかったのか? 2018年10月6日。

しかし2018年の10月、その串刺しの真ん中が外れてしまった。それがご存じ、築地市場です。ここで移転の是非を問うつもりはないけれど、月島と銀座という両極端な個性の街をつなぐ、あの活気ある街が消えてしまうことは、とても寂しかった。なんたって、世界一の魚市場が自分の住む街から消えるのだから。

そして行ってみました、今も生き残る場外市場。

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ここはコロナ前までは、通りの向こうが見えないほど外国人観光客で混雑していましたっけ。ところが長引く緊急事態宣言。どうしているかな、と、神奈川県の片隅で気をもんでいたものです。

見たところ、だいぶ買い物客は戻っているようで、ランチタイムの寿司店は7割くらいの混雑。中には行列のできる店もあります。他のランチ客は、ほぼ例外なく昼間っからビールを飲んでいます。いいなぁ。僕はその後で仕事の打ち合わせがあり、お茶で我慢して早々に撤退。

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これは、かつて世界一の魚市場があった場所。広大な空き地。東京五輪では、選手や関係者を運ぶバスの駐車場になっていましたが、この後は何ができるんでしたっけ? そして、同じ場所の夜景。

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ここから、東京五輪に合わせて架けられた築地大橋を渡り、対岸の勝どきから勝鬨橋を渡り、ここに戻ってこようと思い立ちました。

築地大橋の架橋工事はたびたび見ていたけれど、渡るのは初めて。橋の上から見る夜景も、もちろん初めて。その日はライトアップしていなかったものの、このくらい暗い橋は目に優しい。とてもオモムキがあるのです。

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さっき見ていた旧築地市場を挟んで、反対側から築地市場を眺める。ここは佃に住んでいた頃も、たびたび来ていたランニングコースでもあります。

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夜の闇の中を、ゆったりと流れる隅田川。風に乗って、たまに海の匂いも混ざります。時おり現れる船もゆったり進み、そんなようすを眺めていると、東京にいることを忘れてしまいます。忘れたついでに、遠い江戸の街へもタイムスリップできそうな気がしてきます。

さて、と。そろそろ勝鬨橋を渡って戻ろうかな。

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真ん中で橋が開き、船を通すことができる有名な跳開橋です。竣工は1940年。隣にできたばかりの築地大橋は2021年の東京五輪に合わせて架けられましたが、勝鬨橋は戦争のために開催を返上された、幻の東京五輪のためにできました。リベットむき出しの昭和っぷりが良いのです。

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1970年11月を最後に跳開は行われなくなりましたが、いつでも開けるようにメンテナンスだけは欠かしていないとのこと。橋の真ん中、跳開部分の周りに部屋のようなものがありますが、ここはかつて橋と航行の安全を見守るための宿直室があったとのこと。今でも使えるのであれば泊まってみたいな。

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ということで、かつての市場の入り口に戻ってちょうど4kmほどの散歩。少し銀座に寄り道したので、全部で6kmほど歩きました。

最後におもしろい写真を貼っておきましょう。これは築地大橋架橋工事のメインイベント。横浜から運ばれてきた橋が、こうして橋桁に載せられた瞬間です。この現場に偶然通りがかったのだけど、驚きましたね。まさか、橋がまるごと横浜から船で運ばれてくるなんて、考えもしませんでした。これは2015年だったかな。

築地大橋のコピー


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