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日本で最初のライフスタイルマガジン
また本棚からヘンな雑誌が出てきたので、こっそり紹介しておこう。
この号が発売されたのは昭和39年3月10日。ちなみに『平凡パンチ』の創刊は同年の4月28日なので、「日本初の若者雑誌」と呼ばれる『平凡パンチ』が創刊される前に、こんな雑誌があったというわけだ。
正しい誌名は『ファイブ・シックス・セブン』のようだけど、この雑誌を下さった「史上最強の助っ人エディター」寺﨑央さんは『エフ・ロク・セブン』と呼んでいたから、そっちが通称だったようだ。
ジャンルで言えば男性ファッション誌でいいのかな。
当時、このジャンルには婦人画報社から1954年に発売された『男の服飾』があり、その雑誌が63年、『メンズクラブ』に名前を変える。だからファッション誌の先駆けではないのだけど(大正時代にはモボモガな男性ファッション誌があったかもしれない。あったら読みたい)、何が凄いかというと、服だけではなく、クルマ、DIY、ややエロい小説、食、などについてのページや、ヌードグラビアまで備えた総合誌だということ。つまり『平凡パンチ』なのだ。ヌードグラビアがあるので「悪書」としてたびたび炎上したらしく、この号にはおとなしめのセミヌードが掲載されている。
目を引くのは「日本綿業振興会」の広告ページ(これはすでにタイアップページなのかな?)。文/石津祥介、え/野原三輝。本文冒頭は、《色あせたスゥエット・シャツによれよれのコットン・スラックス、足にはすり切れたズックのジム・シューズにコットンソックス。これこそカレッジ・ボーイの典型的な服装…(中略)…ここ数年来の合繊メーカーの華々しい宣伝合戦の陰で、こうして木綿が着々と若い人たちの日常着を築いている》
化学繊維に対するカウンターカルチャー、とまで言っては大げさだろうけど、若いヤツはアンチ合繊、あえて木綿を着る、という気分がこの頃から芽生えていたようだ。これがやがて、ジーンズにTシャツという、今でこそ当たり前のコーディネートにつながって行く。
文体の古くささは許してあげてください。今、多くの雑誌で読み慣れた文体は、ポパイが生み出した昭和軽薄体まで待たなくてはなりません。
発行所 株式会社わせだ書房 とある。編集長は阿出川光明さん。この後ベースボールマガジン社から発行され、テディ片岡(片岡義男)、湯川れい子、などなどの執筆者を輩出した、らしい。
ちなみに、読者のことを「エフロク・ボーイ」と呼んでいるから、後の「パンチ・ガイ」や「ポパイ小僧」「ポパイ少年」の先駆けでもありますね。全70ページと薄め、130円。
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