つまらなくても見てしまう

今年の大河ドラマを、今月は見ました。4回。昨年は熱心なファンでしたが今年は難しいかもしれません。おもしろくない。

その理由を考えてみたけれど、確信を持って言えることはまだありません。今日は思考の途中ではありますが、なぜ印象が悪いのかを書いてみたいと思います。

VFX。清洲城でしたっけ。今夜、家康一行がその城の前に出た時、我々が見た風景は、これ三国志ですか?というような、日本の原風景と異なるものでした。こうした作画が当初から多く目につき、ことごとく私は好きではありません。今川の首にカラスが止まる。その背景の荒野。芝居が広がりの無いセットの中で行われ、外を映せばこれです。非常に息苦しく感じます。

お馴染みの面々のオールスター感。役を見ているのではなく役者を見ている。絶えずそこには松本さんがおり、有森さんがおり、山田さんがおり、と松重さんもイッセーさんも、そうしたタレントお歴々が「お芝居」をやっている状況を、距離を置いて眺めてしまっている。各々の他での仕事といちいち比較して見てしまいます。たとえば松本さんが、全然、家康というイメージに結びつきません。それは家康像をこれまでにないものとしたことによる、というより、あまりに現代劇に寄せた言葉遣いのせいではないかと考えます。4〜500年前の日本人、とは受け取めることができません。というか、そこを意図的に外している気がします。

ユーモア入れすぎ。軽妙に過ぎるというのも、前段に書いたことに通じますが、戦に出る、といったときに嬉々として雄叫びを上げるというのも違うと思います。あれは当時の戦争であって、命のやり取りが始まるという時にはもっと神妙なものではないかと想像する自分がいて、それが感興を削ぐのです。

本当に文献にあったのか。今晩、これを記したいとしたトリガーは、今川が瀬名に血文字の手紙を書かせたシーンでした。平仮名で「たすけて せな」と今川氏真が、指を切りつけた瀬名の手を半紙に押し当て、そう書かせたのです。もう、待ってくださいよ。私はのけぞりました。あのタイミングで、その戦略(子供じみているのもいいとこですが)を思いつくとは到底思えませんねぇ。うーん。そんな手紙が残されているのならば良いでしょう。ただ、それを夜伽の場で行ったとするのはどうも。せめて木彫りのウサギを送るだけにしてくれれば。

信長と市、即ち岡田さんと北川さんの演技には安心して観ていられるものがあります。渡部篤郎さんも然り。しかしながら大半のシーンは、私にはバラエティのコントに見えてしまいます。どこかでナンセンスなオチがあって、笑い声のSEが被るのではないかと、恐れながら見ています。ムロツヨシさんなんて、スタジオのセットからしてLIFEを見ているのかと錯覚してしまいます。

そういう感覚は、昨年のちむどんどんに通じるものがあります。一所懸命に作れば作るほど、乖離が広がっていくような現象。受け手は綻びに気付いてしまい、楽しみたいのに楽しめない。そっち側(舞台の中)で真剣にやってくれればいいのですよ。演者が視聴者を気遣わずに、もっとお話がスーッと流れていかないかな、と思うのですがいかがでしょうか。

というわけで4回見たところでの感想は以上ですが、この時代には興味がありますので見ていこうとは思うのだけれど、まったく楽しくはありません。大奥の方がずっといい。ではまた

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