少しずつ

昨日の投稿の末尾に、通信あるいは対面でのエレキベース個人レッスンを始める計画について少し触れました。私は現在まで30年以上、雇われる形でレッスンを持ってきましたので、楽器の演奏法について、ある程度の確信を持って説明することができると自負しています。同時にそれ以上の期間にわたって、対価を頂いて演奏する現場に出ておりましたが、演奏家として、どのレベルに属しているかを、なかなか自己評価するのは容易くないと感じており、その辺りは、いつかきちんとわかりやすくご紹介できればいいなと思っています。習おうとする方から見て、教えを請う相手は実力者と認めうるものでなければなりません。個人の名をもって、教えの場を設けようとするならば、そこは必須条件となることは承知しております。

前回述べたとおり、実践的な演奏法を獲得するのに、タブ譜ではなく五線の楽譜を介した音楽コミュニケーションに長けている必要があるという前提で、一切タブ譜を使用せず、段階を設けて五線の楽譜を読んでいけるように訓練します。

楽譜を読む、と言えば、それが不得手と感じる方からすると、あたかも楽譜を目の前にすれば音楽が聞こえてくるような状態を思い描くかもしれません。幼少期から相当経験を積むと、そのようになっていくものかと思いますが、もちろん、私がエレキベースを弾くために必要とする能力はそこまでのものではありません。ベース用に書かれた楽譜を、ベースで弾けるようにする、というのが当初の目標であり、それは「正しい弾き方」とリンクしたものになります。

少しだけお話しすると、曲のキーとポジションは直接的な関係があり、それを成立させるのに、一指一フレットの運指が前提となります。指板上の全ポジションで、一指一フレットでの演奏が可能である時、もっとも読譜は「楽に」行えます。

以後、さらに詳しい説明をここで展開するのは本意ではありませんので、脱線していこうと思います。

1996年頃だったかと記憶しています。私にとって初めて所有する6弦ベースはオランダのヤン・クノーレン氏に製作を依頼した楽器でした。当時、多弦ベースの世界が花開いた時期であり、特に米国発信ではローB弦の再生にはフェンダー式34インチスケールでは無理があるとする気運に押されていました。クノーレンは在ヨーロッパでしたので900mmスケールでそれを造りました。インチ換算では35.43インチと、結構なロングスケールです。

日頃の練習、あるいは現場で、それまで34インチの4弦、あるいは5弦ベースでやっていた奏法、もちろん一指一フレットですが、で少なくとも連日2時間以上弾いていたことによって、その後悩まされることになる左手首痛を発症しました。皆が勝手に腱鞘炎と呼んでいるようなそれです。

5、6年は頑張ってみましたが、癒えたと思っても弾けば再発する手首痛がしんどくて、いわゆるエクストラロングスケールの楽器を諦めました。その後は33インチスケールの楽器を開拓するなど、奏法に妥協せず、楽器の方を種々試すことになりました。

弾き方を変えれば使いこなすことはできたと思いますが、それをしたくなかったのです。ですから私の体格には合わない、という結論にすがりました。それはそれで良かったと思っています。今も、私は自分が快適であると思える一指一フレットの演奏を基本としています。もちろん逃げ道、と言うと語弊がありますが、少しの例外を認めています。それらは整理した形で、どのような状況でどのような運指法を用いるか、明らかにして説明することができます。

といった風に、少し頑固ですが、実践的であることは保証できる、拘りの奏法を伝えることを柱の一つとしていますが、もちろん、それだけではなくて、もっともっと広い世界を感じて頂ける内容を予定しています。

今日はここまでで。


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