21世紀美術館に行く

石川県は過去、能登半島と加賀に行ったことがあるのですがはじめて金沢へ行きました。あまり時間が無かったのですが、21世紀美術館の無料で見れる館内をうろついてまいりました。


リベラルアーツな空間がとにかく大好きなのですが、そういった意味で21世紀美術館は知的好奇心と、新たな創造への糸口が開かれていてとても素敵な空間だと感じました。丸みを帯びた館内や鮮やかな白の色彩もさることながら、空間の余白の使い方、部屋の割り方の、すみずみまで意識の行き届いた「最先端の場所」が楽しかったです。

21世紀美術館という空間が語る「デザイン」は、研学の意思に溢れてて、背筋の伸びるような探究こそが現代美術の意義なのかなあとも思ったり。東京に行ったときも思うのですが、ものを考えることの出来る場を提供してくれる空間が身近にあるとは何とゆたかなのだろう。その文化的な豊かさにまったく気づかないまま身の回りに溢れる知識を蓄えて育つ叡智の子らが羨ましくて仕方がない。現代最先端のものを常に享受できる空間の、先を見据えるまなざしが好きだし、わたしにもそんな目があれば良いのに。


さてさて、無料展示で気になるものがありました。

『DeathLAB:死を民主化せよ』

都市における「死」をめぐるさまざまな問題―人口集中とそれに伴う深刻な墓地不足、少子高齢化、無宗教を支持する人の増加、火葬の二酸化炭素排出による環境負荷など―を考えれば、これまでにない葬送の方法を発明しなくてはならないことは当たり前の話かもしれません。
コロンビア大学の「デスラボ」は、このような課題に正面から向き合い、環境、時間、空間といった街の多種多様な制約に対応できる「死」の未来を、宗教学や建築学、地球環境工学、生物学などを横断して探求する最先端の「死の研究所」として世界的に注目されています。
この展覧会では、デスラボを主催するコロンビア大学准教授のカーラ・ロススタインとともに、「郊外へ疎外される『死』をいかに街に生きた形で取り戻すのか」「現代の都市文化に見合う『生と死の循環』とは何か」「個人が死者を追悼する空間でありながら、都市のインフラストラクチャーにもなるような公共空間はどのように実現できるのか」といった問いに対する革新的な可能性を建築模型や映像資料を通してご紹介します(HP概要より)

https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1763


時代や都市における「死」への新しいアプローチの提唱で、個人的にとても好きな分野なので面白かったです。「墓標を痕跡として残す」ことへの意義から、「死」を公共のものとして社会に役立てる働きかけを新しくプランニングする、その創造性って素敵だなあと。

「都市の中心地に死を置く」という感性が面白いです。たとえば日本の平安時代において、死体は野と呼ばれる場へ持っていかれ風葬される。死も、死に近い存在も、どれだけ親しき仲であろうと「穢れ」という観念の中では排除されるのです。

逆に、処刑地をあえて主要街道に面した場所に置く、というのもあって、それの中では死は見世物なのです。京都における粟田口処刑場、三条河原の晒し首などは、権力者のセンセーショナルなパフォーマンスの意図がある。どちらにせよ、都市は常に死と接していて、デスラボの提案は新たなアプローチとして大変興味深いものでした。自分の研究というか、今の興味ある分野が空間認識論なので、ちゃんと調べてみたいなあと思ってみたら下記のようなURLありました。

死を民主化せよ:コロンビア大学院建築学部「デスラボ」の挑戦  https://wired.jp/2014/12/28/deathlab-vol14/


展示の空間の使い方もいちいちかっこよくて、やっぱり、こういう場が街の中心地にあって、平日であろうと沢山の人が訪れているのを見ると嬉しくなりますね。色々と学べたので家に帰ってこねくり回したいと思います。そうした文化的な豊かさや、思いがけない視点からのアプローチが多々見られて、21世紀美術館はすごく素敵なところでした。また行きたいです。


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