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イタリアからのニュースレター

先週、購読しているコッリエーレ・デッラセーラ紙のニュースレターで、イタリアの若き経済学者クララ・マッテイ(1988年生れ)のことを知る。日本の斎藤幸平(1987年生れ)と同世代。どちらもマルクスやグラムシを読み、資本主義が所与の自然ではなく矛盾に満ちた人工物だと批判、背後に隠れるイデオロギーを暴き出そうとする。

斉藤さんもマッテイさんも、著書を読んだことがない。読めるとき読もうと思うのだけど、コッリーレ紙の記事がうまくまとめてくれている。経済には疎いのだけど、この期に及んでそうも言っていられなくなってきたし、自分の理解を深めるためでもあるので、思い切って以下に訳してみる。

資本主義について、教えてよ、真実を(La verità, vi prego, sul capitalismo)
アレッサンドロ・トロチーノ

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資本主義の《自然化》
クララ・マッテイの本について話そう。最初に教えてくれるのは、経済を精密科学であり純粋なものとみなす公理がまやかしだということ。したがって、他でもない欧州中央銀行の選択も、精密で純粋な科学によってなされたものではないということになる。経済の脱政治化は、資本主義の《自然化》のプロセスにほかならない。だから彼女の著作は『経済は政治だ』(L’economia è politica)というタイトルなのだ。本書が教えてくれるのは、資本主義は自然なものではなく、生まれてからせいぜい300年弱のものだということ。経済学者がなんといおうと、私たちを苦しめる不平等をもたらしたのは、まさにこの資本主義という形態にほかならない。しかもその不平等は巨大なもの。オクスファム〔貧困と不正を根絶するための支援・活動を90カ国以上で展開する団体〕のレポートが示すように、イタリアでは0.1%のより裕福な層が、より貧困な層の60%と同等の富を所有。さらにここ10年において、絶対的貧困状態にある未成年者の数は3倍だ。同じ時期、億万長者の数は6倍。この数字に「自然な」ものなどまったくない。

あの労働者の《シラミ》ども
マッテイがその考察の核心におくのが、資本主義の基礎的な概念。注目すべきキーワードがいくつかある。すなわち、成長、インフレ、金利、緊縮、失業。なぜインフレがそれほど怖いのか。なぜならインフレは、市場経済全体の拠り所であるとともに、社会的な不満を生み出すものだからだ。1919年には略奪事件が起こった。近年では組合運動が強化されるが、それは資本家の不倶戴天の敵なのだ。このインフレの罪を民衆の責任にするイデオロギーが作り出されることになる。マッテイは、1920年代の経済学者マッフェオ・パンタレオーニ(1857-1924)の言葉を引く。「労働者は家でシラミのような生活をして、酒場では自分の収入のほとんどをワインに飲んでしまう」。彼の後継者たちは、これをもう少しエレガントに言い換え、労働者はほとんど働かないのに消費しすぎる、とする。どうやってインフレを抑制するか。マッテイによれば、ふたつ方法がある。ひとつは利子を上げること(ヨーロッパ中央銀行が最近なんども繰り返していることだ)。もうひとつは失業者を増やすこと。このふたちは実質的に結びついている。マッテイによれば、利子をあげる者は政治的には緊縮派であり、そうすることで景気後退を呼び起こすことに十分自覚的なのだ。景気後退は望まれた結果であり、決して副作用などではない。

30,000ユーロのiPhone
マッティはいう。資本主義は労働力によって生み出された余剰労働に基づいている。それは資本家の利益であり、仕事に賃金を払わないことで生み出される。もしも、その価値のぶんだけ賃金が支払われたら、利益をなくなってしまう。したがって利益を生み出すには、賃金を下げる必要がある。搾取とは、システム異常ではなく、それが原則なのだ。マッテイはいう。もしも Apple が〔賃金の安い〕世界の南部ではなく米国で iPhoneを生産しようとすれば、販売価格を900ドルではなく30,000ドルにしなければならないはず。かつて、賃金を抑制するようにしなくても利益の増加が生み出された時期があった。それは技術革新が労働コストを削減した時期だった。それが50年代と60年代の経済的奇跡の鍵だった。しかしその効果が終わったら、残るのは仕事を搾取することだけ。アマゾンのような企業の労働稼働率がそれを証明している。つまり疲弊して倒れるまで搾取するということだ。職場での死者の数がそれを裏付けしてるではないか。

失業によって規律が作り出される
次に失業を考えてみよう。マッテイ(そしてマルクス)によると、失業はシステム・バグではない。労働者をマイノリティの状態におき、心理的な圧力をかけられた状態にしておくことは、非常に機能的なのだ。完全雇用があれば、労働者は経済の基礎に抗議することもできるのだろう。「ある程度の数の失業者がいることで、わたしたちは経済システムを受動的に甘受するようになる」というわけだ。失業者(および「違法な」外国人)の存在によって、資本主義は競争を低下させることができる。「失業への恐怖は、秩序と規律を生み出す手段として機能する」というわけだ。マッテイは失業率の低い米国の例を挙げる。2022年4月には3.5%に低下した。それは資本家を警戒させるレベル。なぜなら、労働者1人あたり4つの仕事のオファーがあり、名目賃金が50年間起こらなかったように増加したのだから。こうして労働組合化が進み、ストライキが急激に増加することになる。

フィリップス曲線と利益からのインフレ
失業といえば、フィリップス曲線に言及する必要がある。それによると失業が多いほど、物価は低くなり、したがってインフレとなる。したがって、システムが機能するような「自然な失業率」がある。失業が少ない場合、労働者の契約価値は高まり、賃金が上昇する。したがって企業は価格を上げ、利益の損失を消費財に移す。資本家と中央銀行が、労働者が、ほとんど働かずに消費ばかりしていると批判するとき、実のところ(ロバート・ライシュの論文によると)消費からのインフレ〔デマンド・プル・インフレ〕ではなく、利益からのインフレ〔コスト・プッシュ・インフレ〕について話さなければならないということだ。そしてそのインフレを促進するために独占がある。なぜなら独占によって、競争は抑制され、起業家は販売への影響、したがって利益への影響を心配することなく、容易に価格を釣り上げることができるようになる。

緊縮の3つの種類
マッテイはいう。もしこうした傾向を強調するのが正しいならば、これに対抗するために中央銀行や経済学者は緊縮財政にうったえる。金融(金利の引き上げ)、財政(社会支出の削減と、特に最も貧しい人々に影響を与える消費への課税)、産業(勝ち取った権利を崩壊させ、労働組合を弱体化させるような民営化)。その結果、世界で最も裕福な男性の1人であるウォーレン・バフェットの払う税金は、その秘書よりも少ないものになる。だから緊縮なのだ。マッテイはいう。緊縮を望み実践する者が目標として掲げるのは成長を増大させ負債を減少させることだが、そんな目標が達成されたためしがないではないか、と。ではなぜ緊縮政策を主張するのか。「資本主義秩序を守る」ためであり、「階級関係を凝固させる」ためであり、「収入を上向きに再分配する」ためなのだ。緊縮の期間中に、その費用を負担するのは最も裕福な階級ではなく、最も貧しい階級であり、だから彼らはますます貧困化してゆく。ようするに、より不安定になってゆき(それは緊縮によって達成されたものであり、したがって失業である)、それゆえますます規律正しくなってゆくわけだ。

別の世界は可能なのか?
この長くて詳細な否定的な議論(pars destruens)のはて、人はこんなふうに問うことになるのだろう。それにしても、別の世界は本当に可能なのか、私たちは何をすべきなのか、私有財産を廃止するのか、有給の仕事を廃止するのか、ユニバーサル・インカムを導入するのか、と。マッテイの本において、こうした部分はとくに弱く、最後の数ページに「支配的な物語の代替」が語られるにすぎない。マッテイは民主主義と資本主義の間には根本的な非互換性があると説明する。わたしたちはだれもが、左派でさえも、「資本の奴隷」だ。素朴ケインズ派は平等主義のもとで資本主義を改革しようとするが、そんな主張は幻想だ。マッテイは「経済的民主主義のための空間を生み出す集団的なプロジェクト」が必要だと言う。そしてチリの「近隣評議会」(consigli di vicinato)の経験や、フランスで普及した「時間銀行」(banche del tempo)の経験を想起してみせる。たしかに資本主義に代わるちょっとしたものではある。民主主義と同様に資本主義は、現存する最悪の経済システムだが、これまで実験されたほかの経済システムよりはまし、ということなのかもしれない。

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Venerdì 24 novembre 2023